誰にも人生のミッションがある 勇気と行動と愛情で平和を願う

2016年5月29日

今日も絶好調!!絶好調!!

今朝も最高に幸せな朝を迎えました。

朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」

「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、

ありがとうございます」

そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。

私は私ぐらい『幸せな人』はいないと思っています。

「私は世界一の幸せ者です」

そして、『言葉は力です』

言葉遣いは、「明日の自分」を作ります。

今日も元気になる言葉を発して、明るく楽しく過ごしましょう。

昨日は日本の古き都、奈良への出張でした。

奈良は、当時、シルクロードの終着点として

国際色豊かな天平文化が花開いた都です。

大伽藍(だいがらん)が建ち並び、

数多くの貴重な文化財が創り出された日本文化発祥の地です。

奈良は国宝建造物数は日本最多と聞いています。

そんな街で素敵な人たちと出会い、仕事をさせて頂けるのですから

私は本当に幸せ者だと思いました。

感謝の気持ちでいっぱいになりました。

電車の窓から外の景色を眺めながら

「この街の発展に寄与することを何か出来ないものか?」

「この地で出来るビジネスはないか?」などと考えながら

帰路につきました。

話は変わりますが、先日、アメリカのオバマ大統領が

現職大統領として初めて、広島を訪問し、

原爆慰霊碑に献花された歴史的な日となりました。

そこで今日は「あの日、広島で何があったのか?」

そして、先人たちはどのようにして、

「あの廃墟の街から再び立ち上がってきたのか?」を

考え、「平和」について考えたいと思います。

長くなりますが最後までお付き合い頂ければ幸いです。

「原爆乙女」と言われた笹森恵子(ささもり しげこ)を

皆さんはご存知でしょうか。

今日は笹森さんの書かれた体験談から原爆の恐ろしさを知り

戦争のない「平和な世界」が実現することを祈りたいと思います。

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誰にも人生のミッションがある 勇気と行動と愛情で平和を願う

1945年8月6日朝、私は13歳、広島の女学生でした。

その日、私たちは学徒動員に駆り出され、

学校の外で作業に取り組んでいました。

見上げた真澄の空に銀色の飛行機と白い飛行機雲が見えました。

クラスメイトのとしちゃんに

「見てごらん、きれいよ!」と指を差した時、

飛行機から白いものが落ちていくのが見えました。

どれだけ時間が過ぎたのでしょうか。

意識が甦って、叩きつけられた地面から顔をもたげました。

とても静かでした。

なぎ倒されて焼けこげた、見たこともない世界が

音もなく広がっていました。

そばには友人と見定めができないほどに黒こげになった

死骸が転がっています。

黒くすすけた幾人もの人が、服ばかりか はがれた皮膚まで引きずり、

血に染まった裸同然の姿で漂うように歩いています。

それは私自身の姿でもあったのですが、

それに気づくこともありませんでした。

私も人々が漂っていく方向に歩き出しました。

意識がはっきりした時、私は蚊帳の中に横たわっていました。

(省略)

私は顔から喉、全身の4分の1が、丸こげでタドンのようでした。

しかし、薬などはありません。

父が黒こげの皮をハサミで切り取ると

下にたまった膿を母が食用油でふきとりました。

それだけが治療でした。

傷が少しずつ治まるにつれ、

痛みに呻(うめ)くようになっていったのです。

母の配慮から、家には鏡が置かれなくなりました。

それを不思議とも思わずに過ごしてきましたが、

ある時、庭に出ると鏡の破片が落ちていました。

それを覗き込んだ時に映った顔――。

眉毛もない、睫毛(まつげ)もない、

肉が盛り上がってピンク色した肌。

上下とも反り返った唇、そして短く刈られた頭・・。

それが自分の顔だと気づいた時、

私は氷水を掛けられたように身震いしました。

あの時の心境は、ショック、という言葉しか思いつきません。

しかし、私はそれを受け入れるよりほかありませんでした。

もちろん、葛藤もありました。

しかし、私の周りにはいつもさりげなく、

しかも、深い深い愛情で支えてくれた両親や兄弟がいました。

自分が子供を持ち、親となって初めて

あの時の両親の思いを知りました。

もし、わが息子が同じ目に遭ったらと考えると、

どれほど耐え難いか。

自分が代わってやりたい。

それが無理なら何としても元の姿に戻してやりたい。

きっと両親はそんな思いで過ごしていたのでしょう。

しかし、何も言わず、ただ静かに私を見守り支えてくれました。

(省略)

私は被爆体験者として、ありのままを語り続けてきました。

近年は各国の核の情勢からその活動が増えており、

2007年には日系4世の映画監督スティーブン・オカザキ氏の

『White Light Black Rain(白い光、黒い雨)』にも出演しました。

この作品は冒頭、日本の若者に

「1945年の8月6日は何が起こった日か知っているか?」

という質問を投げかけます。

「分からない、歴史に弱いので」

「もしかして地震?」

私が体験した65年前の地獄絵図のような出来事は、

もはや今の日本では忘れ去られようとしています。

その事実に呆然とするばかりでした。

しかし、一方で私の体験談を聞いた若者たちは、

みな、必ず何かを感じ取り、

戦争のない社会、核兵器のない社会を創ろうと

目を輝かせてくれます。

いい社会にしたい、平和な社会を築きたいという思いは

本当は誰にでもあるのです。

しかし、その芽は今はまだ固い土に覆われています。

その土を取り払い、大きく育つよう心を耕すために

私は語り続けなければならないと思うのです。

仮にもし、私が原爆に遭わず、大やけどをしていなかったら、

いくら「平和」と訴えても人の心には響かないでしょう。

そう思うと、やはり全ては神の摂理だったと思わざるを得ません。

あの日、一緒にいた友達のほとんどは亡くなりました。

薬もなく、飲まず食わずで横たわっていた5日間。

生きていたこと自体が奇跡でした。

アメリカに渡ることも私が切望したことではなく、

呼びかけに応じてここまでやってきた。

その道程を思うと「私には与えられた使命があるのだ」と

思わずにはいられません。

一人で平和は実現できませんが、

誰かが動かなければ多くの人を動かすことはできません。

そのために私はいつも若者にこんなメッセージを送っています。

素晴らしい人生を送り、素晴らしい社会をつくっていくのに

必要なものは3つある。

それは「勇気」と「行動」と「愛情」です。

勇気と行動だけでは、戦争に結びついてしまうことがある。

行動と愛情だけでは、

物事を変革するのを怖じ気づいてしまうことがある。

勇気と愛情だけでは、きれいごとを言うだけで終わってしまう。

この3つが揃って、初めて物事を成していくことができるでしょう。

私にとって、平和な社会を実現することは、

いつの日か叶えたいという夢や希望ではなく、

必ず成し遂げるミッションなのです。

私と触れ合った人たちが、自分の中に眠っていた

平和への思いを目覚めさせてくれることを願い、

今日も一つ、一つの出会いに心を込めていきたいと思っています。

笹森恵子(米国在住被爆者)

笹森さんが体験された人生、いかがだったでしょうか。

壮絶な人生を恨むことなく、天命と考え、

自分のミッションと捉えて平和を訴え続ける姿勢に

涙がこぼれてキーを打つ手が止まります。

私は、誰もに与えられた「人生のミッション」は

「幸せになる」ことだと思います。

その誰もに与えられた「幸せになる」という

ミッションを実現するために

「世界が平和であって欲しい」と思います。

ですから、皆で祈りませんか?

「世界が平和になりますように・・」と

そして、「みんなが幸せになりますように・・」と

「言葉はちから」です。

その祈りの言葉が自分の心に「愛に火」を灯すでしょう。

「愛の灯」が「勇気」となって、

「行動」へと駆り立てるでしょう。

私たちの祈りは小さなものかも知れませんが

祈り続けることで

「平和な世界」が実現することを信じませんか。

また「大切な人の幸せを祈ること」で、

「自分が幸せ」だと感じる取ることができるでしょう。

「自分が幸せ」と感じることで

「世界の人々の幸せ」を願うことができるでしょう。

だから、今日も、

「言葉のちから」を信じて、

明るく、元気に

世界の平和を・・

大切な人の幸せを・・祈りましょう。

ウキウキ、ワクワク、自分の心に愛の火が灯るのを感じましょう。

「愛」と「勇気」と「行動」で

自分のミッションを実現し、幸せな人生を歩みましょう。

大丈夫!大丈夫!

あらゆる点で一層良くなる!

必ず良くなる!

良かった!良かった!

ツイてる!ツイてる!

ありがとう!

素晴らしい仲間達と

共に生き!!

共に歩み!!

共に成長しましょう!!

私は、「大切な人の幸せ」を毎朝夕祈るようになって

自分が活かされていることが実感できるようになりました。

そして、「幸せな人生」を歩ませて頂けるようになりました。

「心が豊か」になることで経済的にも「ゆとり」が出来ました。

ですから、今日も手を合わせて「大切な人の幸せ」を祈ります。

感謝 合掌

菅野宏泰