人生使命を持つ

今日も絶好調!!絶好調!!

今朝も最高に幸せな朝を迎えました。

朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」

「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、

ありがとうございます」

そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。

私は私ぐらい『幸せな人』はいないと思っています。

「私は世界一の幸せ者です」

そして『言葉は力です』

言葉遣いは「明日の自分」を作ります。

今日も元気になる言葉を発して、明るく楽しく過ごしましょう。


昨日、ワールドカップ日本代表団が帰国しました。

成田空港の到着ロビーには約800人のファンが駆け付け
前評判を覆し16強入りを果たした日本代表を歓迎しました。

今までの監督にはない采配を振るった西野監督でしたが
代表監督を退任することが決まったようです。

「結果はどうあれ、この大会だけ」と言って就任した西野監督。

「目の前の与えられたことに全力を尽くす」という決意で臨んだから
私たちに多くの感動を与えたのだと思います。

また、約2ヶ月の短い就任でしたが、良い意味で予想を裏切った
指揮官の采配に、私は新しい日本サッカーの未来を見た想いです。


その指揮官から、4年後のために選手へ贈った言葉は

「(試合後)倒れ込んで背中で感じた芝生の感触、見上げた空の色、
それは忘れるな。

ベンチで座っていた選手たちの、あの居心地の悪い
ベンチのお尻の感触は忘れるな」だったそうです。

このくやしさをバネに4年後に期待したいと思います。

そして、監督を始め、選手、スタッフの方々へ

「ありがとう」と「お疲れ様でした」の言葉を贈りたいと思います。



『人のためが、自分のためになる人生となる』



今日は「使命」について考えたいと思います。


『SONY』の創業者の一人である、盛田昭夫氏について

青春出版社の『奇跡をつかんだ失敗の�莖末』と言う本の中に
次の様に書かれていました。


1955年、盛田たちは日本初のトランジスタ・ラジオを開発し
その2年後には、さらにコンパクトサイズにした

ポケッタブル・ラジオを売り出す。

白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫といった家電の三種の神器が
隆盛を極めている時期に、

あえてトランジスタ・ラジオで切り込んでいったのである。

国内だけに留まらず、トランジスタ・ラジオは
アメリカでも発売された。

世界中のどの国でも発音しやすいようにと、

『SONY』に社名を変更したのもこの時だ。


アメリカでは大手メーカーであるブローバ社から
10万台の注文を受けるが、

ブローバ社の商標で売るという条件がついた。

「ソニーを世界に通用するブランドに成長させたい」

「メイド・イン・ジャパンの底力を見せつけてやりたい」

そうした気持ちのほうが勝ったのだ。


盛田はよほど悔しかったのだろう。

「50年前は御社も無名だったはず。

われわれはその一歩を踏み出したところだ」と

啖呵を切ったという。

その言葉は、はったりで終わらなかった。

盛田はソニーをメイド・イン・ジャパンの品質を保証する
世界的な企業へと発展させていったのである。


(『奇跡をつかんだ失敗の�莖末』より)


「日本再建」という言葉を経営の趣旨として、
戦後まもなくスタートした東京通信工業。

これが世界の「SONY」の原点でした。

「メイド・イン・ジャパン=粗悪品(安かろう悪かろう)」

と言われた所から、ニューヨーク・マンハッタン五番街に
ショールームを開くまでの経緯は、

血の滲むような努力と、悔しさを味わう連続だったでしょう。


当時、アメリカでともに戦う日本人は、この五番街に掲げられた
「日の丸」の国旗を見て、涙を流し奮い立ったそうです。

もし『SONY』が自社のことだけを考えていたならば
10万台もの注文でしたから喜んで受けたでしょう。

しかし、盛田氏の目的は『日本再建』でした。

『SONY』が、その断ったときというのは、
決して楽な状態ではありませんでした。

それでも『SONY』の名前でないとダメだったのです。

何故なら、彼の想いは・・

彼が、彼に約束した『使命』は・・

『日本再建』だったからです。

ですから『メイド・イン・ジャパン』でなければダメだったのです。


私は、この決断ができた盛田氏を尊敬します。

その結果、1998年アメリカハリー社の消費者調査で
『SONY』は、ブランドネーム第1位に選ばれました。

また、盛田氏は「米国TIME誌」の選ぶ『20世紀の100人』と

『20世紀に影響力のあった経済人』に日本人で唯一選ばれています。

また、盛田氏は、あのスティーブ・ジョブス氏にも
大きな影響を与えたそうです。

※ このエピソードについては機会があったらご紹介しましょう。


盛田氏の想いは、焼け野原から脱却。

そして「日本人としての誇りを取り戻すこと」

『日本再建』が盛田氏の使命だったのです。

ですから『メイド・イン・ジャパン』へのこだわりが信念となり

多くの人に影響を与えたのです。

西野監督には「勝利する」という使命があり

「一歩でも前に進む」と言う信念があったから・・

多くの感動を私たちに与えたのです。


盛田氏は次のような言葉を残しています。

「死ぬときに『俺は大事な人生を、

あんなところでムダに過ごしてしまったな』と思ったとしたら

これほど不幸なことはない」

いかがでしょうか。

「大切な人生をムダに過ごしている」と感じたなら

自分のことではなく、先ずは人のため・・

社会のため・・、日本のため・・になるような

人生目的を見つけましょう。

そして、それが見つかったら

「○○が私の使命」と言葉にしましょう。


「言葉はちから」です。

その口にした言葉が『人生の使命』となるのです。

そして、その使命を成し遂げると言う強い想いが

『信念』を生み出し、奇跡を起こすのです。

すると、多くの人に感動や影響を与えるのです。

そして、充実で幸せな人生を歩むことが出来るのです。

人のためが、自分のためになる人生となるのです。


だから、今日も

「言葉のちから」を信じて

明るく、元気に

「○○が私の使命」の言葉を口に

ウキウキ、ワクワク、使命を成し遂げる信念を養いましょう。

その信念で、多くの人に感動を与えましょう。

すると、多くの人の人生に影響を与えられるような

充実した幸せな人生を歩むことが出来るでしょう。


大丈夫!大丈夫!

あらゆる点で一層良くなる!

必ず良くなる!

良かった!良かった!

ツイてる!ツイてる!

ありがとう!

今日も、素晴らしい仲間たちと

共に生き!!

共に歩み!!

共に成長しましょう!!


今日も最後までお付合いを頂き、ありがとうございました。


感謝 合掌


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