神佑天助(しんゆうてんじょ)

今日も絶好調!!絶好調!!

今朝も最高に幸せな朝を迎えました。

朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」

「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、

ありがとうございます」

そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。

私は私ぐらい『幸せな人』はいないと思っています。

「私は世界一の幸せ者です」

そして『言葉は力です』

言葉遣いは「明日の自分」を作ります。

今日も元気になる言葉を発して、明るく楽しく過ごしましょう。


大型で非常に強い台風24号が沖縄に接近し
48180戸が停電に見舞われたとのことです。

台風は今後、北東に進み、明日には非常に強い勢力を保ったまま
西日本に上陸の模様です。

その後、速度を上げて日本を縦断するおそれもあります。

どうか、進路に当たると思われる地方の方は、
厳重に警戒し早目の対策をして頂きたいと思います。

「備えあれば患いなし」です。

早目、早目の対策が最大の防御だと思います。


また今日は、今から46年前の1972年に日本と
中華人民共和国(中国)は共同声明を発表し国交を結びました。

国交は田中角栄首相と周恩来首相の署名により成立しました。

この日中共同声明により、今まで国交のあった台湾とは
日華平和条約を終了し国交を断絶しました。

しかし、その後も台湾は友人として親日関係は続き
大きな災害があると大きな支援をしてくれます。

戦前の統治時代に受けた恩を、台湾は今でも忘れない様です。

私たちも、台湾の人たちの様に

「恩を忘れない人」になりたいものです。

また、その様な人生を歩まなければ思います。

そこで今日は「恩を忘れない」と言う話をご紹介します。



『恩に報いていく人こそ幸運に恵まれる』



『海賊と呼ばれた男』のモデルと言われている石油元売会社

「出光興産」の創業した、出光佐三(いでみつ さぞう)氏は

「恩を忘れない」を正に実践した人だったようです。

月刊『致知』の中で次の様に紹介されていました。


「人は資本なり」「一人の馘首(かくしゅ)もならぬ」

※ 馘首とは、解雇をすることを言っています。

これらの言葉に象徴されるように、人間尊重に立脚した経営道を

生涯貫き『出光興産』を100年企業へと導いた名事業家です。

出光佐三はいかにして無から有を生み出し、会社経営という城

自分の人生という城を見事に築き上げていったのか。

共に出光佐三の生き方に心酔している、作家・北康利氏と

SBIホールディングス社長・北尾吉孝氏の対談から

出光佐三の原点となったものを見つけ出しましょう。


【北尾】 出光さんは人間尊重の精神を深くお持ちで、

おそらく、その根本は彼の両親から来ているところが

大きいと思います。

出光さんの父親は福岡県の宗像で染め物業を営み、

「働け、そして質素にせよ。ぜいたくをするな」が

口癖だったそうです。

しかし、化学染料の台頭で藍玉が売れなくなり、倒産してしまう。

それでも一所懸命に働き、僅かな稼ぎの中から

彼に学費を仕送りし続けている。

そういう親の愛情を一身に受けたことが

その後の人生に繋がっていくんだと思います。


【北】 出光さんは最初に酒井商会という

小さな店に丁稚奉公に行きますよね。

その主人である酒井賀一郎さんに感謝をして、

酒井さんが亡くなってからも、出光の神戸支店へ行く前に

必ず、酒井商店に寄って、

酒井さんの遺影に頭を下げるのが習慣だったようです。

その部屋は「謝恩の間」と呼ばれていたと聞きます。


【北尾】 受けた恩を忘れない。

【北】 驚いたのは、家を建てる時に、

親の家より高い所には建てず低い所に建てた。

お墓の大きさも、先祖の墓が一番大きくて、次が両親の墓で

自分の墓は一番小さい墓にしました。

親を含め、受けた恩を忘れない。

これは優秀な人に共通した生き方のベースです。


【北尾】 もう一つ、出光さんの人格形成に大きな影響を与えたのが

神戸高商(現・神戸大学)で出会った先生の存在です。

学問的には、内池廉吉教授がそうでしょう。

「これからは金儲けをする商人はいらなくなる。

生産者と消費者の間にあって、ただ一つの配給業者のみが残る」

という教えを受けて、中間搾取するものを排除し、できるだけ安く。

いまで言う顧客満足度を100%以上に持っていこうと考えた。

それが後に創り上げる「大地域小売業」に繋がっていくわけです。


それは石油製品の製造を行うだけでなく、

販売まで直結にするという仕組みです。

消費者にとっていいと思ったことを

何がなんでもやり抜く実行力がまた凄い。

それから精神面では、水島銕也校長の教育ですね。

士魂商才、つまり清廉潔白で責任感の強い武士の魂をもって、

商人として機敏に才を発揮するということを叩き込まれた。

そしてまた、事業を起こすにあたって資金を提供してくれた

日田重太郎さんに出会うのも神戸高商の時ですからね。


【北】 本当に人間の縁というのは不思議なものだと思います。

【北尾】 資産家だった日田さんは

「こいつは将来、大きなことをやる男だ」と見込んで、

自分の別荘を売った8千円のうち6千円を出光佐三に恵んだ。

【北】 それも「返す必要はない」と言ったと。

そんなありがたい人いないですよ(笑)

【北尾】 出光さんはその恩に応えて、後に造った船に

「日田丸」と名前を付けていましたよね。


また『神佑天助』という言葉を出光さんは、よく使われていますけど

「恩にきちっと報いていく」

そういう心掛けの人は天の配剤ともいうべき幸運に恵まれるのです。

※ 『神佑天助』とは「天の助け」「神の助け」のことで、

予測していないような出来事に運良く助けられることです。


お二人の対談を読んで、皆さんはどう思われましたか?

先祖に感謝し、親に感謝し、自分を育ててくれた方々に感謝し

そして、縁した人たちに感謝をし、

その「恩に報いる人生を歩もう」と生きたからこそ

どんな困難にも挑戦が出来ただろうし、

また「天の助け」「神の助け」を得ることが出来たのでしょう。

そして、日本人による石油元売会社『出光興産』を大企業にする

名事業家になったのではないでしょうか。


ですから、私たちも「天の助け」「神の助け」を借りて

自分の想いを叶えようとしたら「受けた恩」を忘れることなく

「恩に報いる人生を歩もう」「あのご恩は必ず返そう」と

自分自身に誓いましょう。


「言葉はちから」です。

その自分自身への誓いの言葉が原動力となって

どんな困難にも立ち向かうエネルギーとなるのです。

すると、その想いが天に通じ「幸運」を与えて頂き

望む人生へと導いてくれるのです。

その「恩を返す想い」で、自分の想いを天に叶えて頂き

幸せな人生を歩むことが出来るのです。


だから、今日も

「言葉のちから」を信じて

明るく、元気に

「恩に報いる人生を歩もう」

「あのご恩は必ず返そう」の言葉を口に

ウキウキ、ワクワク、恩を返すという決意をしましょう。

その決意を原動力にどんな困難にも立ち向かっていきましょう。

そして、神に助けてもらって「幸運」を引寄せ、

想いを叶えて、望む人生を歩ませて頂きましょう。


大丈夫!大丈夫!

あらゆる点で一層良くなる!

必ず良くなる!

良かった!良かった!

ツイてる!ツイてる!

ありがとう!

今日も、素晴らしい仲間たちと

共に生き!!

共に歩み!!

共に成長しましょう!!


今日も、最後までお付合いを頂き、ありがとうございました。


感謝 合掌

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