この世を極楽に

今日も絶好調!!絶好調!!

今朝も最高に幸せな朝を迎えました。

朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」

「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、
ありがとうございます」

そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。


私は私ぐらい「幸せな人」はいないと思っています。
「私は世界一の幸せ者です」

そして『言葉は力です』

言葉遣いは「明日の自分」を作ります。

今日も元気になる言葉を発して、
明るく楽しく過ごしましょう。


一昨日の東京都の外出自粛要請を受け、隣接する4県も
相次いで外出自粛を要請しました。

世界での感染者数は、182ヶ国・地域で50万人以上、
死者数は2万人を超えました。

皆さんも是非、不要不急の外出は控えて頂きたいと思います。

コロナウィルスを今、抑え込まなければ、日本経済にとって
大変な事態になります。

困った時こそ、みんなでたすけ合っていきたいものです。


昨日、スーパーに寄ると麺や米などの棚は空っぽで驚きました。

また、かごいっぱいに買い物をしているお客様の長蛇の列で
おにぎり2個買うのに一苦労しました。

人間の群衆心理って、本当に怖いですよね。

商品は、十分にあると解かっていても、誰かが買うと
「自分も買わなければ」と思って手にしてしまうようです。


先日のトイレットペーパー不足の時に、ある製紙会社の会長が
「両ビンタを食らったようだ!」と言っていたのが印象的でした。

製品は、販売計画に沿って生産しているのに「買いだめ」されると
商品供給のために生産設備を増強しなければならなくなりますが
沈静化するとダブって来て売れなく、減産しなければならない。

しかし、生産設備は急には縮小できず会社の負担が増えます。


この様に「買いだめ」は、生産側にとっても、お店にとっても
消費者にとっても、メリットがない行為なのです。

ですから、困った時ほどを分かち合いましょう。


マスクがなくお困りの方、ご連絡ください。
メーカーの社長様のご厚意で多少ですが回して頂けます。

定価購入となりますが、困っている方へは朗報かと思います。
http://tasuke-ai.com/archives/1505/ よりご確認ください。



『持っているものを、与えるのではなく、分かち合う』



今日は「分け合う」について考えたいと思います。


「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」

これは「相田みつを」さんの有名な言葉ですよね。
「分け合う」ことの大切さを教えてくれる言葉だと思います。


『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』と言う本に
「分け合う喜び」を書いた一節がありましたのでご紹介します。


ある夜のこと、一人の男性が訪ねてきて
「八人の子持ちのヒンズー教徒の家族が、

このところ何も食べていません。
食べるものがないのです」と告げてくれました。

そこで私は、一食に十分なお米を持ってその家に行きました。


そこには、目だけが飛び出している子どもたちの飢えた顔があり
その顔がすべてを物語っていました。

母親は私からお米を受け取ると、それを半分に分けて
家から出て行きました。

しばらくして戻ってきたので「どこへ行っていたのですか
何をしてきたのですか」と尋ねました。


すると「彼らもお腹を空かしているのです」という
答えが返ってきました。


彼らというのは、隣に住んでいるイスラム教徒の家族のことで
そこにも同じく八人の子どもがおり

やはり、食べるものがなかったのです。

この母親は、そのことを知っていて、僅かの米の一部を
他人と分け合う愛と勇気を発揮したのでした。

自分の家族が置かれている状況にもかかわらず

私が持って行った僅かの米を
隣人と分け合うことの喜びを感じていたのです。


その喜びをこわしたくなかったので、私はその夜
それ以上の米を持っていくことはせず

その翌日、もう少し届けておきました。


(『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』より)


この本を読んで、私の頭に浮かんだのは
天国と地獄での『長い箸で食べるうどん』の話です。

ご存知の方も多いかと思います。

「地獄」にも「天国」にも、部屋の真ん中に大きな釜があり
美味しいうどんが煮えているそうです。

但し、食べ方には決まりがあり「1メートルの長い箸で
しかも必ず、その端を持って食べなければならない」のです。


「地獄」では、1メートルの箸でうどんを掴み取り
自分の口に持って行こうとしますが

箸が長いので上手く食べれません。

しかし「極楽」では、自分が箸で掴んだうどんを
反対側のいる人に食べさせてあげます。

そして、次は、相手から長い箸で食べさせて頂きます。


「地獄」では、みんなで奪い合っているために
誰もうどんを口にすることが出来ず、苛立っています。

しかし「極楽」では「今度は、あなたが・・」と
お互いに「分かち合って」いるので

みんなが、楽しくうどんを食べています。


「分ける」とは、人に何かを「与える」ことではなく
自分が何かを「頂いている」行為なのです。

ヒンズー教徒のお母さんも、頂いた僅かの米の一部を
他人と分け合うことで「分け合う喜び」を頂いたのです。


また、私たちは「分け合う」ことで「心が豊かになる」だけでなく
「仲間」と言う人生に於ける貴重な財産を得ることが出来るのです。

何故なら「仲間(人)」が「情報」も「チャンス」も「運」も
「お金」も運んでくるからです。


しかし、ここで大切なのは「与える」のではなく
「分かち合う」ということです。

何故なら「与える」という行為には「与える」という
「憐れみ」や「見下すような態度」が表れるからです。

しかし「互いに分ち合う」という行為には
「思いやり」や「優しさ」といった気持ちを感じます。

ですから、自分の持っているもの(情報、知識や席、人脈等)を
「良かったら、どうぞ」と言って分かち合いましょう。


「言葉はちから」です。

その口にした言葉で、自分の持っているものを
「分かち合う」という気持ちが湧くのです。

その気持ちが相手を心地よくするのです。

すると、相手も、自分の持っているものを
「分かち合う」という気持ちになるのです。


私たちは「分ち合う」と「1+1=2」ではなく
お互いに「得る」ものが、更に増えていき

物心ともに豊かな人生を送ることができるです。

そして、この世を「極楽」にすることが出来るのです。


だから、今日も

「言葉のちから」を信じて

明るく、元気に

「良かったら、どうぞ」の言葉を口に

ウキウキ、ワクワク、自分の持っているものを分ち合いましょう。

そして、互いに「得る」もの増やしていきましょう。

すると、物心ともに豊かな人生を送らせて頂けるでしょう。

私たちは「分かち合う」ことで、
この世を「極楽」にすることが出来るでしょう。


大丈夫!大丈夫!

あらゆる点で一層良くなる!

必ず良くなる!

良かった!良かった!

ツイてる!ツイてる!

ありがとう!


今日も、素晴らしい仲間たちと

共に生き!!

共に歩み!!

共に成長しましょう!!


今日も最後までお付合いを頂き、ありがとうございました。


感謝 合掌


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