戦艦大和沈没に学ぶ 1

今日も絶好調!!絶好調!!

今朝も最高に幸せな朝を迎えました。

朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」

「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、
ありがとうございます」

そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。


私は私ぐらい「幸せな人」はいないと思っています。
「私は世界一の幸せ者です」

そして『言葉は力です』

言葉遣いは「明日の自分」を作ります。

今日も元気になる言葉を発して、
明るく楽しく過ごしましょう。


昨日の『終戦記念日』いかがお過ごしになりましたでしょうか。

私は、明日の勉強会の資料の作成したり、書類の整理をしたり
例年にない程、忙しい一日を過ごさせて頂きました。

『たすけ愛のHP』も更新しましたのでご確認ください。

https://tasuke-ai.com/archives/message/2150/ 

【今時の若者は・・ではなく、今時の大人たちは・・】という
メッセージと【KANNO学校】の案内をしています。


今日は『フジヤマのトビウオの日』だそうです。

日本人が戦争で打ちひしがれていた1949(昭和24)年の今日

古橋広之進氏がロサンゼルスの全米水上選手権大会に出場し
1500m自由形決勝で世界新記録を出し優勝しました。

世界記録を連発する驚異のスイマー古橋に、アメリカ人は
「フジヤマのトビウオ」と称賛しました。

敗戦から僅か4年後のことでしたので
多くの日本人に勇気と元気を与えました。



『太平洋戦争で死んでいった若者たちへの恩返し』



昨日は、語り部・八杉康夫さんの言葉を紹介させて頂きましたが

今日は、その八杉さんが体験した戦艦大和が沈没する瞬間の
生き地獄から生還した実話をご紹介させて頂きます。


「若者よ、君たちが生きる今日という日は

死んだ戦友たちが生きたかった未来だ」


これは、八杉康夫さんの言葉ですが、私たちが経験や体験を
したことのない方の話は、私たちには「宝物」です。

感動の実話ですが長いので、二日に分けてお届けします。


「大和」の後部が白煙を上げているのが
私にも分かりました。

なおも攻撃が続けられ、魚雷が的中した時は
震度5にも感じられるほど激しく揺れました。

次第に船は傾いていきます。


砲術学校では、戦艦は「15度傾いたら限界」と
習ってきましたが、25度・・、

30度・・と、どんどん傾いていきます。

それでも、戦闘中は命令がない限り
持ち場を離れることはできません。


その時「総員、最上甲板へ」との命令が出ました。

軍には「逃げる」という言葉はありませんので
これが事実上「逃げろ」という意味です。

すでに、大和は50度ほど傾いていましたが
この時、初めて「大和は・・沈没するのか」と思いました。

それまでは、本当に「不沈戦艦」だと信じていたのです。


もう海に飛び込むしかない。

そう思った時、衝撃的な光景を目の当たりにしました。

私が仕えていた少尉が日本刀を抜いたかと思うと
自分の腹を掻っ捌(かっぱざ)いたのです。

噴き出す鮮血を前に、私は凍り付いてしまいました。


船はますます傾斜がきつくなっていきました。

90度近く傾いた時、私はようやく海へ飛び込みました。

飛び込んだのも束の間、沈む大和が生み出す渦の中へ
巻き込まれてしまいました。

その時、私の頭に過ったのは海軍で教わった
「生きるための数々の方策」です。


海軍に入ってからというもの、私たちが教わったのは
ひたすら「生きる」ことでした。

海で溺れた時、どうしても苦しかったら水を飲め

漂流した時は、体力を消耗してしまうから
「泳いではならない」


陸軍は違ったのかもしれませんが、

海軍では「お国のために死ね」「天皇陛下のために死ね」
などと言われたことは一度もありません。

ひたすら「生きること、生き延びること」を教わったのです。

だから、この時も海の渦に巻き込まれた時の
対処法を思い返し、実践しました。

しかし、どんどん巻き込まれ、あまりの水圧と酸欠で
次第に意識が薄れていきます。


その時「ドーン」という轟音とともに
オレンジ色の閃光が走りました。

戦艦大和が大爆破したのです。
そこで私の記憶はなくなりました。

気づいたら私の体は、水面に浮き上がっていました。

幸運にも爆発の衝撃で水面に押し出されたようです。


しかし、一所懸命泳ぐものの次第に力尽きてきて、
重油まみれの海水を飲み込んでしまいました。

「助けてくれ!」と叫んだと同時に、
なんともいえない恥ずかしさが込み上げてきました。

「この期に及んで情けない」

「誰にも聞かれてなければいいが」


すると、すぐ後ろに川崎勝己高射長がいらっしゃいました。

「軍人らしく黙って死ね!!」と怒られるのではないか。

そう思って身構える私に、彼は優しい声で

「落ち着いて・・」「いいか、落ち着くんだ」と言って
自分がつかまっていた丸太を押し出しました。


そして、なおもこう言ったのです。

「もう大丈夫だ。おまえは若いんだから頑張って生きろ」

4時間に及ぶ地獄の漂流後、駆逐艦が救助を始めると

川崎高射長は、それに背を向けて
大和が沈んだ方向へ泳ぎ出しました。


高射長は、大和を空から守る最高責任者でした。

大和を守れなかったという思いから
「死を以て責任を取られた」のでしょう。

高射長が私にくださったのは「浮きの丸太」ではなく
彼の「命そのものだった」のです。


(戦艦大和語り部、八杉康夫さんの言葉より)


八杉さんの話、いかがでしょうか。

川崎高射長の責任の取り方も凄いと思いますが、それ以上に
次の時代を担う、若者の命を救うとした行動に感銘しました。

「戦艦大和」の乗組員は、3千余名でしたが
生き残ったのはわずか276名でした。

残り2700名の若者たちも、生き残りかったはずです。


彼らは、自分の夢を捨て、恋人や愛する人たちと別れ
日本の未来の為、今を生きる私たちの為に死んでいったのです。

そう考えると、冒頭の「若者よ、君たちが生きる今日という日は
死んだ戦友たちが生きたかった未来だ」と言う言葉が心に響きます。

私たちは、彼らの想い、彼らの命を無駄にしてはならないのです。

ですから、朝起きたら「今日という日は、
彼らが生きたかった一日」と口にしましょう。


「言葉はちから」です。

その口にした言葉で、今日を真剣に生きる心構えができるのです。

すると、充実の一日を過ごすことが出来るのです。

それを積み重ねて充実の人生を歩むのです。

その人生が、自分を輝かせることになると共に
あの大戦で死んでいった若者たちへの恩返しになるのです。


話は続きますので、続きは明日お送りさせて頂きます。


大丈夫!大丈夫!

あらゆる点で一層良くなる!

必ず良くなる!

良かった!良かった!

ツイてる!ツイてる!

ありがとう!


今日も、素晴らしい仲間たちと

共に生き!!

共に歩み!!

共に成長しましょう!!


今日も最後までお付合いを頂き、ありがとうございました。


感謝 合掌


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