大恩人への一番の恩返し

今日も絶好調!!絶好調!!

今朝も最高に幸せな朝を迎えました。

朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」

「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、
ありがとうございます」

そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。


私は私ぐらい『幸せな人』はいないと思っています。
「私は世界一の幸せ者です」

そして『言葉は力です』

言葉遣いは「明日の自分」を作ります。

今日も元気になる言葉を発して、
明るく楽しく過ごしましょう。


終戦から6年後の1951年の今日、日本は48ヶ国と
『サンフランシスコ平和条約』を締結しました。

この調印により1952年4月28日に条約の効力は発効し
日本の主権は回復しました。


この会議では日本の4分割案や厳しい賠償問題もありましたが

44歳の若き、ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ
スリランカ大統領は、演壇でのスピーチで

「人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる
人は憎しみによっては憎しみを越えられない」と説き

厳しい制裁を加えようとしていた諸外国代表の心を打ち
日本の国際復帰への道を拓きました。


ジャヤワルダナ大統領の胸像は鎌倉の大仏様の脇の公園にあり
私は、鎌倉に出た時には立ち寄り

「お陰さまで日本は繁栄しました。この平和を守りますので
これからも見守りください」と手を合わせて来ます。

皆さんも、この大恩人に会いに出掛けてみてはいかがでしょうか。



『親が喜ぶこと、親に褒められることが判断の基準』



今日は「恩人」について考えます。


『80の物語で学ぶ 働く意味』という本の中に俳優
高倉健さんの話が載っていました。

その中に「恩のある人」についての一節がありました。


平成二年(1990年)、俳優・高倉健は、高校時代の親友の依頼で
川越の少年鑑別所に行き“挨拶”をすることになった。

どんなことを話せばよいかと友人に訊いた。

「世界で日本だけが、看守が拳銃を持たずにいる。

少年たちを信頼しているからだ」というようなことを
言ってもらえればいい、とのことだった。


少年たちは盆踊りの練習が終わったあとで、
グラウンドで整列していた。蝉が盛んに鳴いていた。

高倉は一礼した。紅顔の少年たちだ。とたんにジーンと
熱いものが込み上げ、先刻の約束の話はどこかにすっ飛んだ。


「いろんなことがあったから、皆さんここにいるんだろうけど、
目をつぶって自分のいちばん好きな人、

恩のある人を思い出してください。

その人のために、他の誰のためでもなくその人だけのために
一日でも早くここを出て、更生してください。


たとえば、恋人、母親、父親、・・・
目を閉じると浮かんでくる人のために頑張る。

そういう人を持つ、そういう気持ちを持つことが
とっても大事なんじゃないかと思います」

訥々(とつとつ)として強く、温かい高倉の言葉は
耳を傾ける少年たちの胸に沁みた。


(中略)


高倉は、母が亡くなったとき、大事な撮影の最中で
告別式に行けなかった。その悲しみは深かった。

「お母さん。僕はあなたに褒められたくて、ただ、それだけで
あなたがいやがっていた背中に刺青を描れて、返り血浴びて、

さいはての『網走番外地』『幸福の黄色いハンカチ』の夕張炭鉱
雪の『八甲田山』。北極、南極、アラスカ、アフリカまで、

三十数年駆け続けてこれました」


(『80の物語で学ぶ 働く意味』より)


高倉健さんには、数々のエピソードがありますが
その一つに次のようなものがありました。


藤純子の実父、俊藤浩滋(しゅんどう こうじ)氏は、
東映やくざ映画の大プロデューサーで

鶴田浩二や若山富三郎を育てた方です。

もちろん健さんにとっても、彼を育ててくれた大恩人です。

しかし、やくざ映画の斜陽と共に、誤解が生じ
疎遠となってしまいました。


その俊藤氏の家に、ある年末に突然、健さんは訪ねます。

「ご無沙汰しています」と言うと

健さんは玄関に突っ立ったまま、ボロボロと涙を流し
あとの言葉が出ません。

俊藤氏が「まあ、上がれよ」と言うと、

「いやあ・・・・・」と、ただ涙を流しながらに立ち

「今日は何も言えませんから、また改めて来ます」と言って
帰ってしまったそうです。


健さんにとっては、自分を育ててくれた大恩人への
精一杯の恩返しだったのでしょう。

高倉健さんの生き方、いかがでしょうか。

誰からも愛された健さんが解るような気がします。


私は、この二つのエピソードに触れ、
「私にとっての大恩人は誰か?」と考えたら・・

やっぱり「両親」です。

父は、他界していますが、母は95歳で健在です。


私が「何か大きな人生の選択を迫られた時」には、いつも・・

親父なら・・、お袋なら・・

「どちらが喜んでくれるだろう」と考えて
判断してきたように思います。

親が喜ぶこと・・、親に褒められることが・・

私の判断の基準であり、
行動の原動力だったように思います。


それは、私をこの世に誕生させて、育て、
社会に送り出してくれた大恩人だと思うからであり

その恩人への恩返しだと思うからです。

ですから、私は自分の誕生日には・・

「私は、あなた方の子供として生まれたことが誇りです。
産んでくれて、ありがとうございます」と

両親に向けて手紙を書きます。


「言葉はちから」です。

その両親への感謝の言葉が・・

「親に恥じない生き方をする」という決意と
「両親に喜んで頂ける生き方をする」という決意が生まれ

誰かの為に生きる人生を謳歌することが出来るのです。

すると、それが幸せな生き方となり、親に褒めて頂ける
「親への一番の恩返し」となるのです。


だから、何か選択を迫られた時には「言葉のちから」を信じて

「私を産んでくれて、ありがとう」と両親に感謝しましょう。

その感謝の言葉で「親に喜んで頂ける生き方」を選択し
人生を謳歌することでしょう。

それが、親に褒めて頂ける充実の幸せな人生となるでしょう。

すると、それがこの世に私たちを産んでくれた大恩人(両親)への
一番の恩返しとなるでしょう。


大丈夫!大丈夫!

あらゆる点で一層良くなる!

必ず良くなる!

良かった!良かった!

ツイてる!ツイてる!

ありがとう!


今日も、素晴らしい仲間たちと

共に生き!!

共に歩み!!

共に成長しましょう!!


今日も最後までお付合いを頂き、ありがとうございました。


感謝 合掌


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