平成の三四郎から学ぶ

今日も絶好調!!絶好調!!

今朝も最高に幸せな朝を迎えました。

朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」

「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、ありがとうございます」

そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。


私は私ぐらい『幸せな人』はいないと思っています。

「私は世界一の幸せ者です」

そして『言葉は力です』

言葉遣いは「明日の自分」を作ります。

今日も元気になる言葉を発して、明るく楽しく過ごしましょう。


昨日、各地で真夏日だったようですが今日も暑い一日になりそうです。
どうか、熱中症に注意してご活動ください。


今日は『時の記念日』ですね。

『日本書記』の中に、671年の今日「漏刻ろうこくを新しき台に置く、
始めて候時を打つ、鐘鼓しょうこを動す」という記述があり

天智天皇が水時計を作って計測し、太鼓によって時刻を知らせたという
時計に関する日本最古の記録があり記念日になりました。


「時」は、大統領でも私たちでも平等に与えられた財産です。

この平等に与えられた財産をどう活かすかで人生は変わります。

この財産をより有効的に、効率よく使って頂きたいと思います。


また、今日は「む(6)ちゅう(10)」の語呂合わせで『夢の日』です。

制定の理由は「夢の実現に力を貸してくれた人に感謝し、
自分の夢について考える日」とありました。

『たすけ愛』は「自分にないものは人の力を借りて、

自分が持っているものは、必要としている人に提供し
共に夢を叶える」ことを目的に誕生しました。

是非、人の力を借りたり、人の夢を応援することで
充実の人生を歩んで頂きたいと思います。



『自分の夢を叶えて、応援してくれた人たちの夢も叶える』



今日は「夢の実現」について考えたいと思います。


昨日、国会では党首討論が行われ、オリンピックの開催の是非について
話されていましたが、今日はバルセロナオリンピック柔道で

金メダルを獲った、古賀稔彦(としひこ)さんが
挫折から金メダルを手にするまでの話をご紹介します。


皆さんもご存知の様に、小柄でありながら、得意技の豪快な一本背負いで
数多くの大男を倒したことから「平成の三四郎」と呼ばれた古賀さんですが

1992年のバルセロナオリンピックでは、直前に左膝を負傷するという
逆境に見まわれます。

しかし、それを克服して見事、金メダルを獲得しました。

その古賀さんは、残念なことに今年3月に癌で53歳の若で永眠しました。


男子柔道71キロ級の日本代表として送り出された、
1988年のソウルオリンピック。

20歳にして初の五輪切符を手にした私は、
優勝候補と目されましたが蓋を開けてみれば3回戦でまさかの敗退。

あまりの悔しさに、ただ呆然として試合会場を後にしました。


日本に帰国すると、私を取り巻く環境が驚くほど一変していました。

成田空港から出発する時はマスコミで散々取り上げられ、
「頑張れ、頑張れ」と声援を受けていた私が、一転して誹謗中傷の的です。


「古賀は世界で通用しない」

「あいつの柔道はもう終わった」など

なぜそんなことを言われなければいけないのかと
ただただ憤慨するばかりでした。

そして気づけば、私の周りからは潮が引くように誰もいなくなったのです。


自分はオリンピックの大舞台で負けて悔しい思いをしているのに
なぜそのことを誰も理解しようとしてくれないのか。

もう人間なんて誰も信用できない。

この時、私は人間不信になっても、おかしくないくらいに激しく
気持ちが落ち込み、とにかく人目につくのが怖くて部屋に閉じこもりました。


そんなある日のこと、何気なくつけていたテレビの画面に、
オリンピックの総集編が流れ始めました。

番組では華々しく活躍する選手たちの映像とともに、
惨敗だった日本柔道の特集も組まれており、

3回戦で敗退した私の試合も映し出されます。


ところが次の瞬間、画面に釘づけになりました。

何故なら私が試合に負けた直後、カメラが観客席で応援していた
両親を映したからです。

おもむろに立ち上がった両親は試合会場を背にすると、
日本から応援に駆けつけてくれていた人たちに向かって、

期待に応えられなかった私の代わりに深々と頭を下げていました。


もちろん、私にとって初めて見る光景です。

中学で親元を離れてひたすら柔道に打ち込み、
ほとんど顔を合わせることがなかっただけに、

久しぶりに見た両親が謝っている姿に
私は大きなショックを受けました。

心の変化は、それにとどまりません。

いまの自分が無性に恥ずかしく思えてきたのです。


それまでは「おれが練習して、おれが強くなって、
おれがオリンピックに行って、おれが負けて、

おれが一番悔しいんだ」と思っていました。

ところが両親の姿を見ているうちに、闘っていたのは
自分一人ではなかったことに気づかせてもらったのです。

すると、次々と私をサポートし応援してくれた人たちの
顔が浮かんできました。


例えばオリンピックに向けて練習相手になってくれた仲間がいました。

彼らは自分たちが試合に出られないのに、
私のために何度も受け身を取ってくれました。

しかし、当時の自分はそれが当たり前のこととしか
受け止められませんでした。

また、たくさんの方からの声援や、心のこもったお手紙を
何通も頂戴しましたが、応援されることが当たり前と思う自分がいました。


ところが、こうして少しずつ周りが見えてきたことで、
自分の後ろにはこんなにもたくさんの人たちが一緒に闘ってくれている

だから、安心して闘っていいのだと思えるようになったのです。

そして、これを機に、それまでの自分が嘘のように
前向きになることができました。


もう両親に頭を下げさせてはいけない。

そして自分をサポート、応援してくれた人たちにも絶対喜んでもらいたい。

そのためには、オリンピックで負けたのだから、
次のオリンピックで金メダルを取って恩返ししよう。

この時に抱いたこの思いこそが、4年後のバルセロナオリンピックにおいて

怪我で苦しみながらも金メダルを獲得することができた
大きな原動力になったのです。


(古賀稔彦さんの言葉より)


いかがでしょうか。

私たちの夢の実現の影には多くの人の想いと応援があるのです。

ですから「夢を叶える」とは、自分の夢を叶えることだけではなく
影で応援してくれている人たちの夢も叶えるということなのです。

そう思うと、真剣に取り組まなければらないと思いませんか。

ですから「夢」を持ったなら「この夢は、私だけのものではない。

私を応援してくれている人たちの夢でもある」と
自分自身に語り掛けるのです。


「言葉はちから」です。

その自分自身に語り掛けた言葉で「夢は、必ず叶える」という
強い決意が生まれるのです。

その強い決意が大きな原動力となって、
どんな困難も乗り越えることが出来るのです。

また、応援してくれる人たちに感謝することで
大きなエネルギーが頂けるのです。

すると、夢は叶え、自分だけが夢が叶うのではなく
応援してくれた人たちの夢も叶うのです。


ですから、大きな夢を叶えて充実の人生を歩みたいと思ったら

「言葉のちから」を信じて

「この夢は、私だけのものではない。

私を応援してくれている人たちの夢でもある」の言葉を口に
強い決意を持って真剣に取り組みましょう。

すると、自分だけでなく、応援してくれた
仲間たちの夢も叶えることができ、

充実の幸せな人生を歩ませて頂けることでしょう。


大丈夫!大丈夫!

あらゆる点で一層良くなる!

必ず良くなる!

良かった!良かった!

ツイてる!ツイてる!

ありがとう!


今日も、素晴らしい仲間たちと

共に生き!!

共に歩み!!

共に成長しましょう!!


今日も最後までお付合いを頂き、ありがとうございました。


感謝 合掌


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