守るもの 自分を磨き 人生を輝かせるために

2017年8月9日



今日も絶好調!!絶好調!!

今朝も最高に幸せな朝を迎えました。

朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」

「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、

ありがとうございます」

そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。

私は私ぐらい『幸せな人』はいないと思っています。

「私は世界一の幸せ者です」

そして、『言葉は力です』

言葉遣いは、「明日の自分」を作ります。

今日も元気になる言葉を発して、明るく楽しく過ごしましょう。



昨日はマニラに住む若者たちをホテルの部屋に招いて

起業の仕方について話しました。

彼らは、良い会社に勤めのことが

幸せな人生を送れるのだと信じていたようです。

彼らは、お金もチャンスもないから自分たちには無理、

起業できるのは特別な人たちだけと思っていたようです。

お金がなくても、智慧があれば起業することも、

望む豊かさを手にすることが出来ることを話したら、

目を輝かせていました。

「もっと、話を聞きたい!」と言っていましたが

次の予定が入っていたので、次の機会にと言って帰しました。

夢と希望が人に輝きを与えることを目のあたりした瞬間でした。



彼らにアドバイスした一つは、

「よその国に有って、この国に無いものを見つけなさい」でした。

要は、昨日のメッセージ「無いもの探しをしなさい」でした。

この国のために何か、また一つ出来そうな気がした日になりました。

さて今日は、広島に続き2個目の原爆が

午前11時02分、長崎に投下された日です。

当時、長崎市の人口は約24万人、

一瞬にして亡くなられた方の数が約7万5千人です。

原爆の恐ろしさが解かりますよね。

この様な恐ろしいものが、

この星から1日も早くなくなることを望むと同時に

必要としない世界を創らなければならないと強く思います。



また、昨日は天皇が自らの想いを語られました。

戦後、新憲法下で天皇となられ「象徴天皇」と歩まれてきました。

その想いと行動は、「国民の幸せ」と

「平和な社会」の実現にあったと思います。

ですから、私たちも過去の体験から学び

「平和な社会」と「私たちの幸せ」を実現しなければなりません。



今日は、鹿児島県の知覧飛行場で「特攻隊員」を見送った

鳥濱トメ(とりはま とめ)さんがよく話していた

「ホタルになって帰って来る」と言って飛び立った

宮川三郎軍曹の話をご紹介したいと思います。

彼らは何故、笑顔で死んでいくことが出来たのでしょうか?

宮川軍曹の話から学びたいと思います。



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守るもの 自分を磨き 人生を輝かせるために

宮川三郎軍曹は二十歳で、一度、加世田の飛行場から出撃したが

機体の不調で引き返してきました。

そのとき一緒に飛び立った隊員は、全員戦死していたため

知覧に移動してからも一日も早く出撃したいと訴えていたそうです。

その宮川さんに出撃命令が下りました。



出撃の前日、昭和二十年六月五日の夜に、

宮川さんは、やはり機体の不調で引き返してきた

滝本恵之助曹長とともに富屋食堂に別れの挨拶にやって来ました。

そのとき宮川さんは、

「今度こそ、どんなことがあっても見事轟沈させて帰ってくる」

とトメさんに言いました。

それを聞いてトメさんは小首をかしげました。

体当たりすれば命はありませんから、

帰って来たくとも帰って来れるはずはありません。

トメさんは、宮川さんの言葉が気になって、

「どげんして帰っとな?」と思わず聞いてしまいました。



すると、宮川さんは窓の外に目をやって、

藤棚に来ているホタルに目をとめて言いました。

「ホタルになって帰って来る」

それからこう言葉を加えました。

「だからホタルが来たら俺だと思って、

追っ払わないで受け入れてほしい」

「でも、どうやって宮川さんのホタルを見分けたらいいの?」

トメさんの長女の美阿子さんが尋ねると、

宮川さんは食堂の玄関を指さして

「あそこから入って来るから」

「滝本と二人だから二匹だよ」と答えました。

「いつ頃に帰っていらっしゃるの?」と次女の礼子さんが聞くと

「九時だよ。明日の晩の今頃に帰ってくるようにするから、

俺たちが入れるように、

店の正面の引き戸を少し開けておいてくれよ」と答えました。

「わかった。そうしておくよ」とトメさんは言いました。

「俺が帰って来たら、みんなで『同期の桜』を歌ってくれよ」

「わかった、歌うからね」

「それじゃ、おばちゃん、お元気で」

そう言って宮川さんたちと別れたそうです。



翌日の夕方、一緒に出撃したはずの滝本さんが

しょんぼりとした様子で富屋に現われました。

「あら今日は一人なの、宮川さんどうしたの?」と

トメさんが尋ねると、

滝本さんは首を振りながら言いました。

「悪天候に見舞われて、開聞岳(かいもんだけ)を

過ぎたあたりから霧が深くなって全く視界が効かなくなった。

引き返そうと何度も宮川に合図を送ったのだが、

宮川は『俺は行く、お前は戻れ』と合図をしてそのまま

行ってしまったんだ」

宮川さんが果たして沖縄まで行き着けたかどうかはわかりません。



トメさんは「なんとか宮川さんが思い通りに敵艦を

轟沈できていればいいけれど・・」と辛い気持ちで思いました。

そのとき、長女の美阿子さんが大きな声を上げました。

「お母さん、お母さん、ホタルだ!

ホタルが入ってきた!藤棚にホタルだ!」

トメさんが玄関にかけつけると、確かに

美阿子さんが指さすほうからホタルが一匹入ってきました。

時刻を見るとまさに九時。

ホタルが一匹なのは、滝本さんが帰ってきたからなのでしょう。

「このホタルは宮川さんですよ!夕べここに来て、見事撃沈したら

ホタルになって帰って来るからと約束して行ったんです!」

礼子さんがそう言うと、富屋にいた全員が騒然となりました。

「宮川だ、宮川だ!」

「宮川が帰ってきたんだ!」

それから宮川さんが望んでいたようにホタルを取り囲むようにして

『同期の桜』をみんなで歌ったのです。

これは、終戦間際の実話です。



彼らは自ら「特攻隊」を志願し、「笑顔」で死んでいったのです。

では、なぜ?彼らにはそれが出来たのでしょうか?

私が思うには、

彼らには命を懸けても良いほどの

「守るもの」があったからではないでしょうか。

それは、祖国であり、故郷であり、両親であり、

或いは、愛する人だったかも知れません。

人は「守るもの」が出来たときに強くなれると思います。

「守るもの」のためなら本気になれます。

「守るもの」を持つと「死ぬ気」で頑張れます。

ですから、「○○を守るために私は生きる」

「私は○○を守る」と自分に宣言しましょう。





「言葉はちから」です。

その自分への宣言の言葉で

「守るもの」が決まるでしょう。

「守るもの」を持って真剣に・・本気で生きましょう。

そのことで、自分を磨き、人生を輝かせることが出来るです。

そのことが「幸せな人生」を歩ませることになるのです。

だから、今日も

「言葉のちから」を信じて

明るく、元気に、

「私は○○を守る」の言葉を口に

ウキウキ、ワクワク、「守るもの」のために生きましょう。

「守るもの」で自分を磨き、人生を輝かせましょう。

「守るもの」で「幸せな人生」を歩みましょう。





大丈夫!大丈夫!

あらゆる点で一層良くなる!

必ず良くなる!

良かった!良かった!

ツイてる!ツイてる!

ありがとう!

素晴らしい仲間達と

共に生き!!

共に歩み!!

共に成長しましょう!!



感謝 合掌

菅野宏泰