特攻隊の皆さんへの恩返し

今日も絶好調!!絶好調!!

今朝も最高に幸せな朝を迎えました。

朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」

「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、
ありがとうございます」

そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。

私は私ぐらい『幸せな人』はいないと思っています。

「私は世界一の幸せ者です」

そして『言葉は力です』

言葉遣いは「明日の自分」を作ります。

今日も元気になる言葉を発して、明るく楽しく過ごしましょう。



今日は、京都五山の『送り火』です。

京都の「送り火」と言うと『大文字焼き』が有名ですね。

「送り火」は、お盆に帰ってきた霊をあの世へと送り出す行事です。

ご先祖様に感謝をし、お送り致しましょう。





『なぜ若者たちは笑顔で飛び立っていったのか』





今日は、昨日が『終戦記念日』でしたので、

鹿児島:y県知覧から飛び立っていった特攻隊員の実話をお届けします。

話すのは富屋旅館3代目女将、鳥濱初代(とりはま はつよ)さんです。

少し長いですが最後までお付合い頂けたら嬉しいです。



当時、ここ鹿児島県知覧から飛び立っていった特攻隊員の方々を

「あれは犠牲だった」「行かされたんだよ」という人がいます。

勿論、ご遺族やその当時を必死に生き、苦しい経験をされた方が

「大切な家族、愛する人を亡くしたことは犠牲だった・・」
と語る心情は当然のことと思います。

けれど、彼らは本当に犠牲という思いで行ったのでしょうか。

彼らがなぜ行かなければならなかったのか、

何を守りたかったのか、どんな世の中を夢見ておられたのか。

そこに思いを馳せることが、今を生きる私たちが
為すべきことではないでしょうか。



私の義祖母である鳥濱トメが、知覧の町に
富屋食堂を開いたのは昭和4年。

当時はごく普通の食堂でした。

ところが、昭和16年に福岡の大刀洗陸軍飛行学校の分教所として
知覧飛行場が完成すると、富屋食堂は軍の指定食堂になりました。

そこへ多くの少年飛行兵が、憩いを求めて訪れるようになります。

トメの優しく、誰に対しても分け隔てなく接する人柄が
若い隊員さんの心を和ませたのか、富屋食堂は大変な賑わいとなり、

やがてトメは隊員さんから「お母さん」と呼ばれるようになりました。



戦局は悪化の一途を辿り、昭和20年、ついに特攻作戦が導入され
悲劇にも知覧飛行場が、その出撃地として選ばれてしまいます。

トメは隊員さんたちが、ゆっくりする場所がないと困るだろうと、
食堂裏の民家を借り受け、そこを「離れ」と称して開放しました。

明日の身がない子たちに、心ゆくまで居させてあげたい
との思いだったのでしょう。

トメは、軍の統制下で営業時間が厳しく定められていたにも関わらず
夜が更けるまで営業を続けました。

それが憲兵隊に見つかり、しょっぴかれて
殴る蹴るの暴行を受けたこともあったそうです。

その時は隊員さんたちが「僕たちの身は、どうなっても構わない」
と救い出してくれたそうです。



それでもトメは、決して怯むことなく、
隊員さんたちに尽くし続けました。

また、食材が底を突いた時には、自分の着物や家財道具を売って
調達したこともあったといいます。

これらの話を聞くにつけ、トメは覚悟の人、無私の人だったのです。

(中略)

19歳の中島豊蔵さんは、右手を骨折していたため、
なかなか出撃の許可が下りませんでした。

しかし、いま行かなければ日本は負けてしまう。

その並々ならぬ思いで司令部に掛け合い、ついに許可が出たのです。

出撃前夜、トメは骨折で長くお風呂に入れなかった中島さんの為に

せめて最後に、この子の背中を流そうと、お風呂に入れてあげました。

「ああ、この子ももう居なくなるのか・・」

そう思うと、トメの目に涙が溢れました。



しかし、涙を見せてしまうと中島さんの決意を鈍らせてしまう。

心を掻き乱してしまう。

トメは涙を堪えるため、とっさに身をかがめました。

「小母さん、どうしたんですか?」

「いや、お腹が痛くなって・・」

そう誤魔化すと、中島さんは、

「それなら、僕たちを見送らなくていいですよ。

小母さんは自分の養生をなさってください」

明日飛び立つ自分の身よりも、とっさについたトメの嘘にまで
優しい心をかけてくれる。

そんな中島さんは翌朝、折れた右腕を自転車のチューブで
操縦桿に括りつけ、出撃していったのです。

(『致知』特集「一言よく人を生かす」より)



10代後半から20代前半の彼らの顔写真を見ると、
実に立派で、清々しく輝いた眼をしています。

それはやはり、彼らの中にぶれない軸が
一本通っていたからではないでしょうか。

トメさんは平和の語り部として語る時、
いつも、次のように言っていたそうです。

「私は多くの命を見送った。

引き留めることも、慰めることもできなくて、
ただただ、あの子らの魂の平安を願うことしかできなかった。

だから、生きていってほしい。命が大切だ」

しかし、書き残した物の中には

「善きことのみを念ぜよ。必ず善きことくる。

命よりも大切なものがある。それは徳を貫くこと」

とも記されているそうです。

この言葉には、後の世の幸福を願って命を賭した
隊員さんたちの姿が思い浮かびませんか。



私たちは、先人たちの努力の上に今いるのです。

そのことに手を合わせ「受け継がれてきた自分の命を、
命ある限り輝かし生きていく」ことが

何よりの彼らへの供養であり、恩返しではないでしょうか。

ですから、時間のある時で結構ですから、彼らへ想いを馳せて

「私たちの今の幸せは、皆様方のお陰です。

ですから、私は命のある限り、輝かせて生きます」と誓いませんか。



「言葉はちから」です。

その口にした誓いの言葉で、自分の人生目的は明確になるのです。

人生目的を明確にすることで、私たちの人生は輝き始めるのです。

そして、幸せな人生を送ることが出来るのです。

それが、あの日、大空へと飛び立った行った彼らへの

供養であり、恩返しであり、感謝なのです。



だから、今日も、

「言葉のちから」を信じて

明るく、元気に、

「私は命のある限り、輝かせて生きます」の誓いの言葉を口に

ウキウキ、ワクワク、自分の人生目的を明確にしましょう。

人生目的を明確にして、人生を輝かせましょう。

そして、幸せな人生を全うしましょう。

そのことで、彼らへ、感謝と恩返しをしましょう。



大丈夫!大丈夫!

あらゆる点で一層良くなる!

必ず良くなる!

良かった!良かった!

ツイてる!ツイてる!

ありがとう!

今日も、素晴らしい仲間たちと

共に生き!!

共に歩み!!

共に成長しましょう!!

感謝 合掌


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