先人との約束

今日も絶好調!!絶好調!!

今朝も最高に幸せな朝を迎えました。

朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」

「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、

ありがとうございます」

そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。

私は私ぐらい『幸せな人』はいないと思っています。

「私は世界一の幸せ者です」

そして『言葉は力です』

言葉遣いは「明日の自分」を作ります。

今日も元気になる言葉を発して、明るく楽しく過ごしましょう


今日は『秋分の日』で「秋の彼岸の中日」ですね。

お墓参りにお出掛けの方も多いのではないでしょうか。

『秋分の日』は、1948年に公布・施行された「祝日法」で
「祖先を敬い、亡くなった方を偲ぶ」日とされています。

『彼岸』は、仏教行事のように捉えている方も多いかと思いますが
日本独自のもので、インドや中国の仏教にはありません。

ですので、元は日本古来の祖霊信仰が起源だと推定されます。


民俗学者の五来 重(ごらい しげる)氏は「彼岸」という言葉は

『日願(ひがん)』から来ており、仏教語の「彼岸」は
後から結びついたものだろうと言っています。

『日願』とは「太陽に願いを掛ける」ことだそうです。

先人たちは、春には「豊穣」を祈り、秋には「収穫」に感謝し
ご先祖様や自然に、お供え物をお供えし敬って来たのでしょう。

ですから「彼岸」だけでなく、私たちも
「毎日、太陽を仰ぎ」祈りと感謝をしたいと思います。

そこで今日は「祈りと感謝」について考えたいと思います。



『私たちは先人の祈りの中に生かされている』



祖父方が仙台藩士、祖母方が米沢藩士という武士一族を先祖に持ち
武家女性の生き方を研究されている著述家

石川真理子さんが、祖母から教わった

「脈々と命を繋いでくださったご先祖様に感謝しつつ、
そのご恩に報いられる生き方とは何か?」を著書で紹介していました。

長いですが、今日は、その中からご紹介したいと思います。


お盆には、どこもかも開け放した部屋に漂う夏の夜気、
思い出話に興じる大人たちの笑い声と

お酒とお料理とお線香の匂いがする上座には
祖母がゆったりと座っていました。

私にとっては、ただ楽しいばかりの行事でも、
祖母にとっては感慨深いものだったのでしょう。

目には見えないご先祖さまの存在を、
祖母は、はっきりと感じていたのではないかと思います。

還暦前にあっけなく逝ってしまった夫、

戦死した長男、先だった息子や娘、父に母、

明治維新では賊軍とされ、悔しい思いをした祖父母。


お盆は、会いたい人たちの魂を身近に感じることのできる
ひとときなのです。

お盆明け、お供えものを下げながら、
祖母は昔話を聞かせるように言いました。

「ご先祖さまはね。まだ見ぬ先の我が家のことまでも
心配して生きておられたのです。

そんなご先祖を助けてくれた人たちは、次の世に
こうして生まれてきたおまえを助けてくれたようなものです」

「人というのはね、目には見えないご恩を
たくさん頂いているものなんだよ。

おまえのぜんぜん知らないところで、

誰かが必ず、強くたくましく幸せに生きていって欲しいと
祈っているものなんだよ」

「だから、できる限りご恩に応えるように、
どんなことだって負けないで頑張るのです」


こう話しながら、祖母は私のために祈ってくれたのです。

そして今も、祖父や伯父伯母たち、父と一緒に、
草葉の陰から、そっと見守り、祈り続けてくれているのです。

この世に生を受けた私たちは、
一人残らず祈りの中で生きています。

子々孫々みな元気で家が繁栄しますように・・

のちの世の人々が幸せでありますように・・

美しく平和な日本がずっと続きますように・・

この様に、世界は祈りで充ち満ちているのです。


私たちは、誰もが全く預り知らないところで
多くの恩恵を受けながら、今日、この日を生きています。

血筋であるご先祖はもとより、
そのご先祖を支えた方々のお力によって、

私たちの「今」があり、「今」の積み重ねである
「人生」があるのです。

さらに言えば、たとえ先祖とは何のかかわりがなくとも、

この国を護ったすべての先人の恩恵を受けて、
私たちは21世紀という時代を生きているのです。

この事実は「なんとしても幸福に生きねばならないのだ」と
いうことを私に教えました。


「幸福になろうと、なるまいとどちらでもいい、
自分の人生なのだから」などと言うのは、

身の程知らずとしか言いようがありません。

幸福になることは、先人との約束であり、
果たすべき義務なのです。

己の弱さと対峙し、常に克服しようとするのは
容易なことではありません。

負けそうになった時、私は祈りの中で
「生かされている」ことを思うようにしています。

目には見えなくとも、その声を聞くことがなくとも、
私たちは励まされ支えられているのです。

祈りの中で生かされていることへの実感は、
克己心(こっきしん)をより強くすることでしょう。

というよりも、先人の魂との繋がりを失ってしまっては、
真に強くなることはできないのです。

先人への感謝を忘れず生きることは、
日本人の美徳の根幹を支える意識であり信仰でした。


戦後、死者に心を向けることが少なくなり、
その繋がりが希薄になるにつれ、

人々は浮き草のようになってしまいました。

現代人の弱さ、挫けやすさはここにあります。

孔子は「君子は本を務む。本立ちて道生ず」

「孝悌なる者は其れ仁の本たるか」と言っています。

(孝と悌ということこそ、人徳の根本であろう)


孝は親など目上の人を敬うこと。

悌は目下の者を大切にせよということです。

それこそが徳の根本だと孔子は説いているのです。

この教えを一歩進めれば、

「先人を敬い、子孫を大切に思うことによって人徳が備わるのだ」
と言っているのです。

「先人の魂を敬い、未来の人々のために祈りながら、
今、この時代を真摯に生きる」

ここに立って初めて、教養は揺るぎない誠の徳となることでしょう。

( 石川真理子著『女子の武士道』より)


いかがだったでしょうか。

私たちは先人の祈りの中に生かされているのです。

そう思うと、私たちは、先人に対して

「ありがとうございます」と感謝の念が生まれ

「幸せになります」という誓いが生まれませんか。

先人への感謝の言葉と「幸せになる」という誓いの言葉は

今度は、自分の目の前に人に対して・・

未来の子供たちに対して・・

自然と手が合され「どうか、幸せなってください」という

祈りの言葉が出てくるのではないでしょうか。


「言葉はちから」です。

その目の前に人に対しての・・

未来の子供たちに対しての・・祈りの言葉が

私たちの心を豊かにするのです。

すると、私たち自身が「幸せな人生」となるのです。

ご先祖様への感謝の言葉と

目の前の人、未来の子供たちへの祈りが

私たちの心を豊かにし、幸せにしてくれるのです。

また、私たちが「幸せになる」ことが

先人への恩返しであり、未来への贈り物なのです。


だから、今日も

「言葉のちから」を信じて、

明るく、元気に

先人への「ありがとうございました」という感謝の言葉と

「幸せになります」という自分への誓い言葉を口に

ウキウキ、ワクワク、手を合わせて人の幸せも祈りましょう。

人の幸せを祈ることで自分の心が豊かになり

幸せな気持ちになるでしょう。

すると、物心ともに豊かな人生を歩むことが出来るでしょう。


大丈夫!大丈夫!

あらゆる点で一層良くなる!

必ず良くなる!

良かった!良かった!

ツイてる!ツイてる!

ありがとう!

今日も、素晴らしい仲間たちと

共に生き!!

共に歩み!!

共に成長しましょう!!


今日も、最後までお付合いを頂き、ありがとうございました。


感謝 合掌


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