驚かない努力

今日も絶好調!!絶好調!!

今朝も最高に幸せな朝を迎えました。

朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」

「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、

ありがとうございます」

そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。

私は私ぐらい『幸せな人』はいないと思っています。

「私は世界一の幸せ者です」

そして『言葉は力です』

言葉遣いは「明日の自分」を作ります。

今日も元気になる言葉を発して、

明るく楽しく過ごしましょう。


先日『立春』になったと思ったら

もう、2月も今日で終わりです。

一ヶ月があっと言う間ですね。

今月は、思い通りの一ヶ月を過ごす事が出来ましたか。

私は、今月も想定以上の一ヶ月だった様に感じます。

来月も想定以上の一ヶ月になるよう仕事を楽しみたいと思います。


今朝の新聞に『盲学校からスタバに就職』と言う記事がありました。

沖縄盲学校高等部を卒業する佐野七奈さん(18歳)は

4月から「スターバックス」で社会人としての一歩を踏み出します。

「お店は私にとって新しい大切な居場所」

「お客さんとのやりとりが楽しい。

コーヒーは飲んだことがなかったけど、

テイスティングをしていたら大好きになった」と

喜びを口にしていました。


「ハチミツの味」「煙っぽいにおい」「酸っぱい感じ」など

味わいやにおいへの表現が抜群だと店側からも太鼓判です。

彼女の夢は、コーヒーの魅力を伝える

コーヒーマスターだそうです。

「格好いい」と思いませんか。

そして「五体満足の私たちに、出来ないことなど

なにもない」ということを知らされた想いです。



『覚悟の生き方が、格好いい生き方となる』



今日は「格好いい生き方」について考えたいと思います。


「死ぬこと以外はかすり傷」と言う言葉があります。

「命が取られるようなこと以外は、慌てないことだよ」

という生き方、覚悟を表現した言葉ではないでしょうか。

覚悟の出来ていない人には、心に突き刺さりますよね。


また、この言葉は、人生は山あり谷ありなのだから

「大変だ!」とか「大変です!」と言われても

「だから・・?」、「どうしたの・・?」と

「命が取られること以外で、いちいち慌てるな」

腹が据わっていないから

「いちいち、慌ててしまうのだよ」と

戒めている言葉でもあると思います。


昔、孔子が弟子に問われます。

弟子、「孔子さんは大変な事があったら慌てますか?」

孔子、「当然、慌てることはあるが、

取り乱したりはしない」

「その理由は、常に賢い者は最悪な事も想定し、考え、

常に覚悟をしているからだよ」

「しかし、多くの人たちは最悪を想定もせず、

腹もすえていないから、

最悪な状況が起これば取り乱すのだよ」と。


この、孔子の言葉ではありませんが

私たちも「生きている限り」は、ある程度の「覚悟ぐらい」は

しておかなければならないと思います。

そうすると、ちょっとやそっとのことでは

驚かなくなり、 慌てなくなるからです。


昔、日本の武士の子供たちの成人(元服=げんぷく))は

「15歳」でした。

現代だと、中学3年生ぐらいだと思います。

元服(げんぷく)では、親が子供に「切腹の作法」を教えます。

要は「死に方」を教え「死の覚悟」をさせるのです。

こうやって「潔(いさぎよ)く、泣きごと、悲鳴をあげず」

「きれいに死になさい」と教えたのです。


私たちは、彼らよりも年上ですから、

当然、そこそこの「死ぬ覚悟」ができていなければ

昔の武士の子供たちより

「腹が据わっていない」ということになります。

ましてや、私などは彼らの何倍も生きて来ているのですから

「自分の最後の在り方」を決めておかなければなりません。

ですから、私は「自分の老後の在り方」を

数年前に決めました。


私は「元気で働けるうちは働こう」

そして、動けなくなったら

「私を引き取って最後を看取ります」

と言う方のお世話になろう。

それが、一番、安心のできる老後対策だと思ったのです。

ですから「老後のお金を貯めるよりも、

人財に投資をする」と決めて「起業塾」を開講し

『たすけ愛』へと繋がって来たのです。


また「引き取って看取ります」と言う方が

もし現れなかった時には、アフリカのサバンナで

「動物の餌にでもなろう」と思っています。

私たちは「動植物の命を頂いて生きてきたのですから

最後は、恩返しをしても良い」と思っています。

この様に「死に際を決めて、覚悟して生きる」と

「生きる」ことが怖くなくなり

「生きる」のが楽になりました。

そして、その覚悟を持って人生を楽しんでいると

老後の世話をして頂かなくても良いような

生き方が出来て来ているように思います。


人生は「修行の連続」です。

「どんな、修行か?!」って

「何があっても、全てを受け入れて、感謝をする修行」です。

そのことを、私は若い時に出会ったメンターから

『現認謝行』と言う言葉で教えて頂きました。

ですから、何があっても

「慌てない心」が出来たのだと思います。

では、何故「慌ててはいけない」のでしょうか。

それは「無様(ぶざま)な生き方」となるからです。

「格好いい生き方」ではないからです。


ですから、与えられた人生を

「格好良く生きたい」と思ったら

私の様に「死に際」までの「覚悟」を

持たなくても良いかも知れませんが、

ちょっとやそっとのことでは

「驚かない努力」をする必要があるのです。

では、どうすれば良いのでしょうか。

それは、簡単です。

何があっても、どんなことが起っても

「で・・?」、「それが何なの?」

「だから・・どうしたの?」の言葉を口にするのです。


「言葉はちから」です。

その口にした言葉で「慌てない」

「驚かない」、強い心がつくられるのです。

また、すべてに感謝のできる心が養われるのです。

すると、自分は「運が良いから」

「何があっても、どんなことが起っても」

「それは、私を成長させる為の神仏からの贈り物」と

捉えることが出来るようになるのです。

そして「無様でない」「格好いい生き方」が出来るのです。


だから、今日も

「言葉のちから」を信じて

明るく、元気に

「で・・?」、「それが何なの?」

「だから・・どうしたの?」の言葉を口に

ウキウキ、ワクワク「覚悟の生き方」をしましょう。

その「覚悟の生き方」が「格好いい生き方」となるでしょう。

そして「無様な生き方」にサヨナラしましょう。

すると、人生は楽しく、充実なものとなるでしょう。

そして「幸せな死に方」をさせて頂けるでしょう。


大丈夫!大丈夫!

あらゆる点で一層良くなる!

必ず良くなる!

良かった!良かった!

ツイてる!ツイてる!

ありがとう!

今日も、素晴らしい仲間たちと

共に生き!!

共に歩み!!

共に成長しましょう!!


今日も最後までお付合いを頂き、ありがとうございました。


感謝 合掌

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