三性の理

今日も絶好調!!絶好調!!

今朝も最高に幸せな朝を迎えました。

朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」

「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、
ありがとうございます」

そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。


私は私ぐらい『幸せな人』はいないと思っています。
「私は世界一の幸せ者です」

そして『言葉は力です』

言葉遣いは「明日の自分」を作ります。

今日も元気になる言葉を発して、
明るく楽しく過ごしましょう。


今日は9月の第3月曜で『敬老の日』で祝日ですね。

以前は9月15日でしたが、ハッピーマンデー制度により
2003年から現在の9月の第3月曜になりました。

昔は還暦(60歳)から老人で、田舎では公民館にお年寄りに
集って頂き、私たち子どもがみんなでお祝いをしたものです。

もう既に祝う立場から祝って頂く立場の歳になっていますが

まだまだ気持ちは若者ですから、電車の中で「どうぞ!!」と
席を譲られる時は嬉しいですが複雑な気持ちです。


そして今日は「世界の停戦と非暴力」を全ての国々と
全ての人々に呼び掛ける『国際平和デー』です。

毎年、この日に日本政府から国連本部ビルの敷地内に寄贈された
『平和の鐘』が鳴らされます。

『平和の鐘』などが鳴らさなくても「平和であること」が
当り前に思う世界になることを心より祈っています。



『出来事を善・悪ではなく「無記」でみる』



今日は「平和な心」について考えたいと思います。


無相庵・菩提禅堂の形山睡峰(かたやますいほう)堂主の著書

『無心という生き方』に「争いごとを起こさない」について
次のような一節がありましたので紹介します。


参道の途中に、裏山に掲げた旗のよく見える場所があって
数人の僧が旗の方を見上げながら何やら議論している。

「風があるから旗が動くのだ。旗があるから風が動くのではないぞ」

「いや、いや、旗がなければ風のあることも証明されぬ。
旗が動くから風があると知らされるのだ」

「なにを言うか。風があっての旗の動きではないか、旗は後だ。
先に風があったから旗も動かされるのだ。そんな道理も分らんのか」


互いに言い争っているものだから、他の僧たちも集まってきて
だんだん大騒ぎになってきた。

中には「旗が動くか風が動くかなど、どちらでも良いではないか。
坊さんたちも暇なものだ」と興味本位で眺めている者もある。

実は彼らからすれば、仏教の法理の要の問題を
論じあっているつもりだから、互いに引くに引けないのだった。


(中略)


僧たちが旗を見ながらワイワイガヤガヤ、
口角泡を飛ばしながら言いあっていると、

そこへ一人の男がやってきて、彼らを指して言った。

「風が動くのでもない。旗が動くのでもない。
あなた方の心が動いているのだよ」


一瞬、この男なにを言うのかと思った者たちも、
言葉の意味を理解したとたんに「おーっ!」皆、絶句した。

「風が動く」「旗が動く」と、そんな風に言い争っている
あなた方の心が、すでに動揺しているではないかと、

そう聴いた者もあった。だが、男の言った意味はそうではなかった。


風や旗が動くと見るのは、われわれの一つ心が
動いているのだと言った。

初めから仏心の中に生きていると思うのも心である。

迷っているときは、仏心を離れていると思うのも心である。

風が動くと見るのも心であり、旗が動くと見るのも心である。

同じ一つ心の働きを、どんなに二つに分けて論じ合っても、
論じている心自体は一つ心の働きではないかと言ったのである。


(『無心という生き方』より)


お坊さんの話ですので、少し難解ですよね。

しかし、言いたいことは、とてもシンプルです。

「良い」も「悪い」も「正しい」も「間違っている」も
すべて「心次第でどちらにでもなる」と言うことです。

例えば、戦時中に多くの敵を倒せば英雄となりますが
平和なときに人を殺せば大悪人になります。

正義感が強すぎて、人を非難し許さなければ
相手から見れば、そちらが悪になります。

何故なら、人はみんな価値観が違うからです。


そこで出番となるのが『三性の理』です。

世の中の物事には「善」と「悪」という判断のほかに
『無記』という考えがあるというものです。

『無記』というのは、文字通り「記しをつけない」です。
自分の価値観や考え方などに「色」をつけて判断しない思考です。


私たちは、自分の価値観という「色眼鏡」を付けて世の中を見て
その出来事に意味付けをしています。

この色を取って「出来事を善でもなく悪でもない状態で見る」
という心の姿勢が大切なのです。

すると、相手の意見も「なるほど、そういう考えもあるのか?」と
受入れることが出来るのです。


また、仏教には『二元性一元論』という言葉もあります。

これは善悪二つに分けて物事を捉えるのではなく
「すべては一つ」と捉える考え方です。

世界中では、いろんな紛争が起きていますが「平和な世界」
「みんなが幸せな社会」をつくるという想いは人類共通の目的です。

違うのは、そこに辿り着く方法論が違うだけのことです。


ですから、互いに目指す目的が同じなら「無記」になり

自分の価値観を押し付けることなく、相手の意見を「なるほど、
そういう考えもあるのか?」と言葉にしましょう。


「言葉はちから」です。

その口にした言葉で、自分の心は「無記」の状態になるのです。

すると、相手の考えも受入れることができ、話合いが出来るのです。

そして、互いに本来の一つの目的に向かうことが出来るのです。

その結果、平和的に互いが納得する成果を得ることが出来るのです。


ですから、争いごとが起きそうになったら

「言葉のちから」を信じて

「なるほど、そういう考えもあるのか?」と口にしましょう。

すると、相手の考えを受入れ穏やかに話合うことが出来るでしょう。

そして、本来の目的を達成していくことでしょう。


※ 世界のリーダーが、この様な考えになったなら
確実に平和な世界が築かれるでしょう。

その為には、私たちが日頃から「争わない心」を
持つ努力をすることではないでしょうか。


大丈夫!大丈夫!

あらゆる点で一層良くなる!

必ず良くなる!

良かった!良かった!

ツイてる!ツイてる!

ありがとう!


今日も、素晴らしい仲間たちと

共に生き!!

共に歩み!!

共に成長しましょう!!


今日も最後までお付合いを頂き、ありがとうございました。


感謝 合掌


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