今日も絶好調!!絶好調!!
今朝も最高に幸せな朝を迎えました。
朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」
「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、
ありがとうございます」
そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。
私は私ぐらい『幸せな人』はいないと思っています。
「私は世界一の幸せ者です」
そして『言葉は力です』
言葉遣いは「明日の自分」を作ります。
今日も元気になる言葉を発して、明るく楽しく過ごしましょう。
今日は、日本人なら忘れもしない『東日本大震災』が発生した日です。
いや、私たちは、決して忘れてはいけない日です。
あの大震災から7年が経ちました。
被災地では土地のかさ上げや防潮堤の建設が進み、
住宅や商業施設も完成し、少しずつ活気も戻っています。
しかし、一方では、いまだに多くの被災者が故郷を離れています。
その数、約7万3千人。
仮設住宅での不自由な生活を余儀なくされている方もいます。
住宅や商業施設は完成しましたが、一人一人の暮らしや
心の復興は、どこまで進んているのでしょうか。
震災直後には多くの支援がありましたが、
時間の経過と共に関心は薄れ、支援の手も少なくなっています。
未だ未だ、支援を必要としている人たちがたくさん居ることを
私たちは、忘れてはいけないと思います。
また、私の故郷、福島のいくつかの地域では、原発事故で
未だ居住が制限され住人の居ない死の町となっています。
人の住まない家々は朽ち果て、田畑は草が伸び放題です。
人の思い出や地域の文化や行事など、無形の財産まで奪われたのです。
この町に人の笑い声が戻るには、あと何十年・・、
いや、何百年と掛かるかと思うと胸が痛いです。
私たちは、原爆や原発など、人間の力で制御できないものを
つくってはいけないのです。
そのことも、忘れてはいけないと思っています。
また、忘れてはいけないものとして『恩』があると思います。
私たちは震災の時には、いろんな国々の人たちから
心温かな多くの支援をして頂きました。
特に、台湾の方々からは、国交がないのにかかわらず
多くの支援を頂いのは、皆様方もご存知だと思います。
しかし、モンゴルの方々が日本の存続を心配して
「広大なモンゴルの国土の一部を日本に受け渡そう」という議論が
国会議員の中で真剣に行われたことを知っているでしょうか。
また、モンゴルの公務員全員が1日分の給料を義援金として
日本に寄付したことを知っているでしょうか。
私たちは、この様な優しさを世界中からたくさん頂きました。
その『ご恩』を決して忘れてはならないと思います。
『天国の工藤君、命を救ってくれてありがとう』
今日は、7年前の、あの日、あの時に起こった
勇気ある少年の話をご紹介致します。
長くなりますが、最後までお付合い下さい。
私の故郷、地元夕刊紙『いわき民報』の2011年5月7日の
一面に載った記事より引用させて頂きます。
『天国の工藤君、命を救ってくれてありがとう』
鈴木さんは仲間の看護師と介護員の3人で、
豊間(いわき市にある海辺の町)の利用者宅で訪問入浴の仕事をしていた。
その時、大地震が襲った。
記録は恐怖に満ちた、その時の状況や必死に利用者を守り
高台へ目指す3人の前に現れた工藤君の勇姿が記されている。
「手伝います」
地域に不慣れな3人が、高台への道が分からず
迷っているところに現れた工藤君。
一緒に利用者を乗せた担架を持ち、
「ホテル塩屋崎に行きましょう。あそこなら大丈夫」と、
先頭に立って誘導してくれた。
ホテルに到着し、鈴木さんたちの安全を確認すると、
「ばあちゃんを捜してきます」と戻っていった。
「あの少年はどうしただろう」
無事に帰宅できた鈴木さんたちは、少年が気になり、
「お礼をしたい」と少年を捜すことにした。
名前を聞かなかったため、
少年の背格好や服装などを手がかりに、
後日、現場を捜したり、ラジオで呼びかけた。
なかなか消息が分からなかったとき、
県警のホームページで震災による死亡者名が発表された。
その中に1人、17歳の少年の名前があった。
工藤盛人君。
鈴木さんたちはインターネットで、何とか住所を捜すと、
少年が出てきた家と一致した。
「人違いであってほしいと思った。でも工藤君があの少年だったら。
息子はどうして逃げ遅れたのか。あの時どこで何をしていたのか。
ご両親は知りたいはず。知っているのは私たちだけ」
鈴木さんは工藤君の両親に会い、工藤君があの少年なら
勇姿を伝えねばならないと両親を捜した。
そんな強い思いが伝わったのか3月25日、両親と連絡が取れた。
震災から2週間がたっていた。
26日、3人は工藤君の両親と面会し、写真を見せてもらうと、
捜していた少年の顔がそこにあった。
鈴木さんたちは、自分たちが記憶する限りの工藤君の様子を伝え、
勇気ある行動が、自分たちの命を助けてくれたことを両親に告げた。
工藤君の父親は「盛人は地震が来たとき、1人で怖かっただろうな。
あいつなりに精いっぱい頑張ったんだろうな。
こんなにも男らしく、立派な行動をしていたことは
親としてとても嬉しい」と、涙をこらえながら話してくれたという。
「工藤君の生き様、男らしさに私は男として尊敬します」
と鈴木さんは話した。
(『いわき民報』夕刊紙より)
同時刻に、義父母と共に、あの津波で天国に召されました工藤君。
皆さんは、どう思われましたか。
17歳の少年の自分の命を省みず行った勇気ある行動。
義父母を思う優しい心。
私は、彼の勇気ある行動に敬意を払うと同時に
あの日、生きたかったであろう命を省みず行動した
多くの勇気ある人たちに・・
そして、この国のために・・多くの支援をしてくれた方々に
「自分に出来ることで、皆さんへの恩に報います」と誓います。
「言葉はちから」です。
その口にした誓いの言葉が、恩返しへの行動へと駆り立てるのです。
その恩返しの行動を通じて、私たちは自分が成長できるのです。
その成長で、人のお役に立てる自分になることが出来るのです。
そして、人のお役に立ちながら、頂いた恩のお返しが出来るのです。
すると、充実の幸せな人生を歩むことが出来るのです。
私たちは『恩返し』で、幸せな人生を歩むことが出来るのです。
だから、今日も、
「言葉のちから」を信じて、
明るく、元気に、
「自分に出来ることで・・」の言葉を口に
ウキウキ、ワクワク、恩返しの行動を起こしましょう。
恩返しの行動を通じて、自分自身を成長させて頂きましょう。
そして、人に喜んで頂ける人生を歩みましょう。
人に喜んで頂きながら、充実で幸せな人生を歩ませて頂きましょう。
大丈夫!大丈夫!
あらゆる点で一層良くなる!
必ず良くなる!
良かった!良かった!
ツイてる!ツイてる!
ありがとう!
今日も、素晴らしい仲間たちと
共に生き!!
共に歩み!!
共に成長しましょう!!
今日と言う日を、震災で亡くなられた全ての方々の冥福を祈ると共に
『恩返し』について、考える日にされてはいかがでしょうか。
今日も最後までお付合いを頂き、ありがとうございました。
感謝 合掌
あの日、あの時・・
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