『言葉を科学する【死んでも生きる人生】』

今日も絶好調!!絶好調!!

今朝も最高に幸せな朝を迎えました。
朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」

「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、ありがとうございます」
そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。


私は私ぐらい『幸せな人』はいないと思っています。
「私は世界一の幸せ者です」

そして『言葉は力です』 言葉遣いは「明日の自分」を作ります。

今日も元気になる言葉を発して、明るく楽しく過ごしましょう。


今日は全国的に暖かな一日になりそうですが
皆さんはどんな週末をお過ごしのご予定でしょうか。

ウクライナ侵攻の話題で北京パラリンピックの影が薄いですが

アルペンスキー女子の村岡桃佳選手が今大会3つ目の金メダルを獲得し
銀メダルと合わせると4個のメダルを獲得しています。

素晴らしい活躍だと思いませんか。


また、大活躍なのがウクライナ選手団で、昨日時点で金メダル9個、
銀メダル10個、銅メダル6個の計25個を獲得しています。

そのウクライナ選手団ですが、選手村で「全ての人に平和を」と訴え
1分間の黙とうがささげました。


そして「この1分は子どもや障害を持った人たち何千人ものための1分です。

人類が文明化を遂げているなら、この戦争はやめるべきだ。

人が・・、女性が・・、子どもたちは・・
死ぬのではなく、生きる権利がある」と言っていました。



『生きて、生きて、生き抜いて死ぬ人生を歩む』



私も、その通りだと思います。この世に生を受けたなら「生きる権利」があり
「生きる義務」があると私は思っています。

ですから「他人によって殺される」ことがあったり・・
「自分の意志で死ぬ(自殺)」ことがあってはなりません。

ましてや、戦争と言う無差別殺りくで人を殺す権利など誰にもありません。


今日と言う日は、東日本大震災の災害や今回の戦争で死んだ人たちが
「生きたい」と思った、かけがえのない一日なのです。

ですから、私たちには「命のある限り生きて死ぬ」義務があるのです。


今日は「生きる」について考えます。


この世に「絶対」と言われることは二つと言われています。

一つは「絶対にない」で、もう一つは、私たちは生を受けたなら
「必ず(絶対に)死ぬ」と言うことです。

死亡率「100%」です。


朝から「死」の話など「縁起が悪い」と思わないで下さい。

私は「死ぬ」ことは、決して「悪いこと」とは思っていません。

死ななければ、私たちはしわくちゃで腰が曲がり、歯も無く
耳も聞こないような状態で生き続けなければなりません。

どうでしょうか。それでも良いでしょうか。


また「死ぬ」ことが悪いと捉えると、私たちは「死亡率100%」ですから
死が恐ろしく、怖くて仕方がありません。

そんな恐怖の日々を過ごすことが楽しいでしょうか。

ですから、私は決して「死は悪いことだ」とは思っていません。

もし「死が不幸」としたならば、私たちの人生の最後の最期は・・
「不幸で終わる」ということになります。


私は「神も仏もいる」と信じていますから、神仏が人間の最後の最期を
「不幸で終わらす」ことはないと信じています。

きっと死とは「素晴らしい体験」であり、
あの世は「素晴らしいところだ」と思っています。

だからといって「死に急ぐ」のは、神仏が私たちに託した
「使命に反する行為」なのでお叱りを受けると思います。

ですから「天寿をまっとうすること」が前提です。


また、病気で亡くなる方や事件、事故で亡くなる方を
「運が悪い」と言う方が居られますが

しかし「それは一概には言えない」と私は考えます。

私が「一番運が悪い」と思う人は、生きがいや夢を持たずせ
「生きながら死んでいるような人たち」であり

「死んでような日々を生きている人たち」です。


また、先ほど「死亡率100%」「必ず(絶対に)死ぬ」と言いましたが
肉体は滅んでも「永遠に生きる人たち」がいます。

例えば、釈迦やキリスト。或いは、偉人と言われているような人たちです。

しかし「永遠に生きる人」は、彼らだけなのでしょうか。


もし、私たちでも「誰かの心に残る生き方」をしたならば・・

または「あんな生き方をしたい」と憧れを持って頂いたとしたならば・・

自分の身は滅びても、永遠とは言えませんが、その人の心の中で
「死んでも生きる」ことが出来るのではないでしょうか。

では、そのような生き方をするには、どうすれば良いのでしょうか。


そこで、皆さんに尋ねます。

もし、皆さんの心に残るとしたら、次のどちらの人たちでしょうか。

生きてはいるが、生きがいや夢もなく「死んだように生きる人」か。

それとも、生きがいやでっかい夢を持って活き活きと輝き
「生きて、生きて、生き抜いて死ぬ人」か。


私は「生きて、生きて、生き抜いて死ぬ」と決めていますので

自分の使命と夢を紙に書いて「私のミッションは○○」
「私の夢は○○」と何かあるごとに口にするのです。


「言葉はちから」です。

その口にした言葉で自分の生きがいと夢を明確にするのです。

すると、一日一日を活き活きと過ごすことが出来るのです。

そして「生きて、生きて、生き抜いて死ぬ」のです。

その生き方(死に方)が、人に影響を与え、
その人の心の中で生きることが出来るのです。


私たちは「死」を真剣に考えると「生が輝く」のです。

そして「生きて、生きて、生き抜いて死ぬ人生」を歩むことで
「死んでも生きる」ことが出来るのです。


ですから、死んでなお生きる人生を選びたいと思ったら

「言葉のちから」を信じて、

「私のミッションは○○」「私の夢は○○」の言葉を口に
一日一日を活き活きと過ごしましょう。

そして、生きて、生きて、生き抜いて死ぬ人生を歩みましょう。

すると、人の心の中で「死んでも生きる」ことが出来るでしょう。


大丈夫!大丈夫!

あらゆる点で一層良くなる!

必ず良くなる!

良かった!良かった!

ツイてる!ツイてる!

ありがとう!


今日も、素晴らしい仲間たちと

共に生き!!

共に歩み!!

共に成長しましょう!!


今日も最後までお付合いを頂き、ありがとうございました。


感謝 合掌

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