2017年3月12日
今日も絶好調!!絶好調!!
今朝も最高に幸せな朝を迎えました。
朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」
「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、
ありがとうございます」
そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。
私は私ぐらい『幸せな人』はいないと思っています。
「私は世界一の幸せ者です」
そして『言葉は力です』
言葉遣いは「明日の自分」を作ります。
今日も元気になる言葉を発して、明るく楽しく過ごしましょう。
昨日は「セルビア共和国大使館」で行われた
ワインの試飲会に参加させて頂きました。
皆さんは「セルビア共和国」と言う国をご存知でしょうか?
「セルビア共和国」は旧「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」の
一国でしたが1990年の連邦崩壊後、紆余曲折を繰り返し
2006年に独立した国です。
日本のように四季があり、歴史的な建造物や手つかずの自然の残った
美しい国のようです(大使の説明によるとです)
この辺の土地は、ブドウの栽培に適していて
昔から良質のワインが多かったようです。
確かに、口あたりがよく飲みやすいワインでした。
私は、ある方のご紹介で参加させて頂きましたが
100名近い紳士淑女がワインを楽しんでおりました。
『大使館』はパスポートの要らない他国です。
機会があったら、皆さんも
最もお金の掛からない海外旅行を楽しんでみてはいかがでしょうか。
大使館へ行く途中の御殿山(ごてんやま)に『三菱開東閣』がありました。
『三菱開東閣』は旧岩崎家の別邸で、一般公開はされておらず
現在は三菱グループの倶楽部として利用されています。
東京の一等地に11,200坪の広大な敷地と鬱蒼した木々で
外部からは建物自体が見えません。
こんなところに、この様な別邸があることに驚くと共に
ここで、日本の未来が語られていたのかと思うと
感慨深いものがありました。
三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎は、土佐の貧しい家に生れながら
明治維新の激動期に事業を始め、巨万の富を得て
国を動かすほどの力を持つようになりました。
「変化の時」が「チャンスの時」なのです。
「大変化の時」が「大チャンスの時」なのです。
現代ほど「大変化の時」であり「大チャンスの時」はありません。
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思いやりと優しさのDNA 優しい心と耐える強い意志を育てる
昨日は東日本大震災の日でしたので『先人から受け継いだDNA』というメッセージを贈らせて頂きましたが
今日も、日本人がご先祖様から受け継いだ『心のDNA』について
考えさせられる様な記事を見つけましたのでご紹介させて頂きます。
これは、一人のベトナム人が見た「東日本大震災での感動実話」です。
Ha Minh Thanh(ハ ミン タン)さんは
在日ベトナム人でしたが日本に帰化し警察官になりました。
震災時に、福島県警察庁を支援するために被災地に入りました。
彼がベトナムの友人に話した日本人の人情と強固な意志を象徴する
小さな子供の話に多くのベトナム人は涙を流したそうです。
福島第一原発から、約25km離れた地点で活動していたThanh氏は
最も過酷な状況における日本人の人情と
強固な意思を知ることになります。
私は治安確保のために、福島に派遣されたものの
治安自体はかなり安定していました。
地域住民は保安チームを結成し、お互いに助け合っていました。
仮に盗難しようとする者がいても、簡単にはできません。
そのため、この数日間は主に被害者の埋葬と
食料分配の手伝いをするようになっていました。
初めの頃は、あまりにもひどい惨状に涙し
黙祷して埋葬していましたが
死者が余りにも多く、今は泣く時間もありません。
この数日間、自分は災害における人々の感動的な人情を
目の当たりにしています。
東北大卒の工学博士であり、髪の毛に白髪が混ざる自分が
恥ずかしく思うような出来事がありました。
災害から5日後の3月16日の夜、被災者に食料を配る作業を
手伝うために自分は小学校に派遣されました。
人々の長い列の中に9歳ぐらいの子供を見かけました。
彼は短パンとTシャツしか着ていません。
非常に寒い気温で、彼が列の最後にいるため、
彼の番になれば配る食料もないと心配した私は、
彼に近寄って話を聞いてみました。
彼は体育の時間の最中に地震と津波にあって
その近くで仕事をしていた彼の父親が学校に駆けつけた。
学校の3階のベランダから、彼は
父親と車が水に飲み込まれていくのを見ました。
自宅が海岸のすぐ近くにあり、
母と弟、妹も避難できなかったそうです。
肉親について話すとき、彼は急いで顔を振り
涙を拭き、声を震わせました。
彼が寒そうに震えているのを見て、私は警察のコートを脱いで
彼に羽織り、夕食のパックを渡しました。
私は、彼はすぐに食料を食べると思っていましたが
彼は配給用の食料箱の中にパックを置いて列に戻りました。
私は、びっくりしました。
私の驚いた眼差しに対して、彼は
「ほかの多くの人が、僕よりもおなかを空かせているだろうから
そこに入れて、公平に配ってもらう」と話しました。
それを聞いて、私は急いで顔をそらし、涙を隠しました。
最も困難な時に、9歳の男の子が大人の私に
人としての道を教えてくれるとは思いもよらなかったからです。
9歳の男の子でも、忍耐強く困難に耐え、
他人のために犠牲になることが出来る日本という民族は、
きっと偉大な民族なのだろうと思いました。
日本は、最も困難な状況に直面しているが
少年の時から自分を捨てることができる国民性のおかげで
必ず、より強く再生するに違いない。と思いました。
皆さんは、この話をどう感じましたか?
私は、この記事を読み、こうしてメッセージを書いていても
涙がこぼれます。
私たちが、ご先祖様や先人から受け継いだDNAの中には
この少年のような「人への思いやりと優しさ」と
「どんな困難にも耐えるという意志の強さ」
「自分を犠牲にしても、守らなければならないものは守る」
という心がある様に思います。
ですから、私たちの先人は幾度もの困難を乗り越えて来たのです。
私たちが先人から受け継いだDNAとともに大切にしたいのは
この「人への思いやりと優しさ」ではないでしょうか。
ですから、どんな時も、どんなところでも
人を想い「大丈夫ですか?」
「何か、私にお手伝い出来ることはありますか?」と
訪ねてみましょう。
「言葉はちから」です。
その思いやりの言葉が「優しい心」を育むのです。
その思いやりの言葉で、相手に勇気と安心を与えるでしょう。
そして、その優しい心が自分に
「強い意志」を身に付けてくれるのです。
人への優しさは、人に勇気と安心を与えるだけでなく
困難に耐える意志の強さを身に付けてくれるのです。
だから、今日も
「言葉のちから」を信じて
明るく、元気に
思いやりの言葉を口に
ウキウキ、ワクワク、優しい心を育みましょう。
優しい心を育みながら、耐える意志の強さを身に付けましょう。
その強い意志で困難を乗り越えていきましょう。
そして、望む世界を創り上げましょう。
大丈夫!大丈夫!
あらゆる点で一層良くなる!
必ず良くなる!
良かった!良かった!
ツイてる!ツイてる!
ありがとう!
今日も、素晴らしい仲間たちと
共に生き!!
共に歩み!!
共に成長しましょう!!
感謝 合掌
菅野宏泰
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