人の幸せを考える

今日も絶好調!!絶好調!!

今朝も最高に幸せな朝を迎えました。

朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」

「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、ありがとうございます」

そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。


私は私ぐらい『幸せな人』はいないと思っています。

「私は世界一の幸せ者です」

そして『言葉は力です』

言葉遣いは「明日の自分」を作ります。

今日も元気になる言葉を発して、明るく楽しく過ごしましょう。


今日は、二十四節気の第11節『小暑(しょうしょ)』です。

『小暑』は、梅雨も終わり近づき、これから本格的な夏の暑さが来ますので
この日から暑中見舞いを出す季節に入ります。

夏と冬、年に2度、お世話になった方々へ挨拶の便りを贈るという文化は
どんなに時代が変わっても残したいものですね。


また今日は、織姫と彦星が天の川を渡って年に1度、会える『七夕』です。

今日は全国的に雨模様ですので、雲のカーテンの陰で二人だけの時間を
楽しんで欲しいと思います。


その『七夕』は『五節句』」の一つで、江戸時代は幕府公式の祝日でした。

また『七夕』と言えば、笹竹に願い事を書いた短冊ですが
みなさんは、どんな願い事を書きますか。

私の願いは、みんなが幸せの感じる社会になることです。



『何をしてくれるかではなく、何ができるかを考える』



今日は「人の幸せを考える」についてです。

『脳にいいことだけをやりなさい!』という本に、次の様な1節があり
「その通り」と感銘しましたのでご紹介します。


私は皮膚の難病に12年間悩まされていました。

身体は弱り、満足に歩けもせず、いつも家族に頼るばかりの日々で
人生には絶望していたと思います。

そんなとき、たまたま地元に住む仏教僧と会う機会があったのです。

彼に自分の悲惨な状況を話した私は、同情のまなざしと思いやりの言葉を
期待したのですが、僧侶は穏やかにこう言っただけでした。


「自分を憐れむのはおやめなさい。人の幸せを考えるようにするのです」


「無理です!こんな状態なのですよ。自分のことで精一杯です」

私は「彼は何もわかっていない!」と、がっかりしました。

こんなボロボロの身体で人の幸せを願うなんて無理だと思いましたが
なぜか、その言葉が心に引っかかり、

その日から少しずつ気をつけるようになりました。


先ずは、家族や友人たちの幸せと健康を、さらに知らない人たちのために
車の中から道行く人たちの幸せを、

ついでに自分の嫌いな人たちのことも思いやってみました。


ある日、電動車椅子に乗ってスーパーのレジに並んでいると
明らかに虫の居所の悪そうな女性が私の後ろに並びました。

急いでいるらしく、いら立った目を周囲に向けています。

カートの中身はあふれんばかりで、少しでも早く
レジを通り抜けたそうにしています。


いつもなら、イヤな思いをしないように、こういう人とは
できるだけ関わらないようにしていましたし、

実際真っ先に頭に浮かんだのは「何て品のない人からしら。
目を合わせないようにしよう」という考えでした。

しかし、そのとき例の僧の言葉・・

「人の幸せを考えるようにするのです」を
思い出した私はこう思い直したのです。


「そう、きっとこの人は今日とてもイヤなことがあったのよ。
私だってそういう日もあるじゃない。

この人を幸せにしてあげるにはどうすればいい?」


私は振り向いて「お急ぎのようですね」と言いました。

女性は驚いたような顔で、ぶっきらぼうに「ええ急いでいるんです。
遅れそうだから」と答えました。

「私の前へどうぞ」

女性は、私のかごの中身が少ないのを見て、サッと首を振りました。

「いえ、大丈夫です」


「どうぞ遠慮なさらないで。私は急いでいませんから。さあ、どうぞ」

変化は劇的でした。

イライラをまき散らし、レジ係をどなりつけそうな勢いだったその女性は
人に親切にされ、気を遣われて、別人のようになったのです。

私の前へとカートを進めながら何度も「ありがとう」と言い、
レジがすむと店員にも礼を言って、

買った物を袋に詰め終わると、笑顔で店を出ていきました。


私はすがすがしい気持になりました。

周りを見ると、誰もが私に笑顔を向けて、
言葉を交わし合っているのです。

「素敵ね」「気持のいい場面だったわね」

「今日もいい日になりそうね」。


それからはもっと人を幸せにしたくて、
できることはないかと探すようになりました。

人のためになろうとすれば、機会は至る所に転がっているものです。

身体を使い、心を使い、お金を使って、未だ未だ私は人のために
何かをしてあげられる、それはこの上もなく嬉しいことでした。


自分のために「人が何をしてくれるか」ではなく、

人の幸せのために「自分が何をしてあげられるか」を
いつも考えるようになりました。


嬉しいことに、それから一年もしないうちに、皮膚の調子がよくなり
生きるパワーもみなぎってきました。

杖なしで歩けるようになり、ジムにも通い始めました。

医者は、病気がひとりで快方に向ったようだと言って
信じられないようです。


僧侶の教えのおかげで人生の坂を転がり落ちずにすんだ私は
愛情という永遠の力を手に入れることができました。


(『脳にいいことだけをやりなさい!』より)


自分のために「人が何をしてくれるか」ではなく
人の幸せのために「自分が何をしてあげられるか」を考える。

その通りだと思います。

私たちは「国が・・」「親が・・」「上司が・・」「仲間が・・」
自分の為に何をしてくれるのだろうか?と考えがちですが

「自分が、人の為に何ができるだろうか?」と考えることが大切です。


人の喜ぶことをすると、自分が嬉しい気分になります。

人に「ありがとう」と感謝をすると、自分が心地よい気分になります。

人の幸せを祈ると、自分が幸せな気持ちになります。

そして、それが潜在意識に働いて奇跡を起こしてくれるのです。


この様に、私たちは「与える」ことで、凄いものを頂いているのです。

ですから、幸せになりたい・・、豊かになりたい・・と思ったら

「この人が喜ぶ為に、私は何ができるだろうか」

「この人の幸せのために、私は何がすれば良いだろうか」と口にしましょう。


「言葉はちから」です。

その口にした言葉で「人の喜ぶこと」「人の幸せ」を考えるのです。

そして、行動に移すのです。

すると、奇跡の様なことが起こり、物心ともに豊かになって
幸せな人生を歩ませて頂けるのです。


ですから、物心ともに豊かで幸せな人生を送りたいと思ったら

「言葉のちから」を信じて

「この人が喜ぶ為に何が・・?」
「この人の幸せのために何が・・?」の言葉を口に

人の喜ぶこと、人が幸せになることを行いましょう。

すると、奇跡の様なことが起こり、物心ともに豊かになって
幸せな人生を歩ませて頂けることでしょう。


大丈夫!大丈夫!

あらゆる点で一層良くなる!

必ず良くなる!

良かった!良かった!

ツイてる!ツイてる!

ありがとう!


今日も、素晴らしい仲間たちと

共に生き!!

共に歩み!!

共に成長しましょう!!


今日も最後までお付合いを頂き、ありがとうございました。


感謝 合掌


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