平和ボケにならない

今日も絶好調!!絶好調!!

今朝も最高に幸せな朝を迎えました。

朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」

「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、
ありがとうございます」

そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。


私は私ぐらい「幸せな人」はいないと思っています。

「私は世界一の幸せ者です」

そして『言葉は力です』

言葉遣いは「明日の自分」を作ります。

今日も元気になる言葉を発して、
明るく楽しく過ごしましょう。


今日は、今から76年前に多くの日本人が、無念の涙を流した日です。

連合国側のポツダム宣言を受入れて、太平洋戦争の終結を宣言し

日本が新しい価値観に生まれ変わった『終戦記念日』であり
『新しい日本の誕生日』でもあります。

しかし、この新しい日本の誕生には大きな犠牲を払いました。


この戦争で亡くなられた軍人の数は、約230万人。
また、100万人近い民間人も亡くなられました。

先ずは、亡くなられた方々へ心からの冥福を祈ります。

そして、亡くなられた方の数が330万人なら
その悲しみに包まれた方々の数は数千万人に上ります。

この大きな犠牲と多くの悲しみの上に私たちの今の繁栄があり
幸せがあるのを私たちは決して忘れてはなりません。


みなさん、私たちの幸せのために・・
そして、祖国、日本の未来のために・・

命を捧げた英霊たちに、今日の正午・・
黙とうして、感謝の気持ちを伝えませんか。

また「皆様方の死を決して無駄にしないために
私たちは、決して過ちは繰り返しません」

そして「必ず、幸せになります」と誓いませんか。

「戦争を起こさない」こと、そして「幸せになる」ことが
彼らに対する一番の供養であり、恩返しではないでしょうか。



『無関心になることに無関心にならない』



あるブログに『平和ボケ』というメッセージがありましたが
私もそう感じます。

「平和ボケ」という皮肉めいた言葉を耳にするほど
世界のどの国よりも平和な国、日本です。

特に、若者たちの中には、戦争のない平和の有り難さの
意識が薄いように思います。


しかし、76年前には悲惨な戦争がありました。

そして、大東亜戦争(太平洋戦争)の末期、大日本帝国軍は
各地で戦局が追い込まれると戦闘機で敵艦隊へ体当たり攻撃をする

『神風(しんぷう)特別攻撃隊』という狂気の戦法を実行しました。


その『神風(かみかぜ)特攻隊』(通称)の生き残りだった方が

亡くなる一年前に、頑なに閉ざしていた戦争体験や
生き残ってしまった故の心の葛藤を語ってくれたそうです。

その中に、彼らの本心があったようです。


現代では、英雄化され神格化されている特攻隊員のほとんどは
「お国のために身を捧げることは光栄」と遺書に書きましたが

政府の要求で書いた遺書の他に、家族に宛てた
「本物の遺書」の中では本心を綴っていました。


その中には、死への恐怖から「自分自身は英雄なんだ」と
一生懸命自分に言い聞かせていた者。

「自分で陛下のために死ぬことを決めたのではない、
そう決められてしまったのだ」と綴った者もいました。

また、玉砕機に乗る前夜、特攻隊員達は何度も寝返りを打ち
誰一人眠れる者はいなかったそうです。


17歳から20歳そこそこの若者たちがある日、突然

「お前はもう生きられない、死ななければならない」と
宣告されるのですから無理もありません。

そんな彼らが、敵艦に突撃する直前に叫ぶ最後の言葉は
「天皇陛下万歳!」ではなく、母親の名前だったそうです。


母上 お元気ですか。
長い間 本当にありがとうございました。

私が6歳の頃より育ててくださった母
継母とは言え、世の中にこのような女性はいない

間違ったことは1度もなく、慈しみ育ててくださった母

ありがたい母 尊い母 俺は幸福でした。


とうとう最後まで“お母さん”と呼ばなかった俺・・・

今まで何度か、思い切って呼ぼうとはしたが
なんと意志薄弱な俺なのだろう。


母上、お許しください。

さぞ淋しかったでしょう。
今こそ・・、大声で呼ばせていただきます。

お母さん お母さん お母さん。


これは、少年飛行兵として1945年5月4日に出撃し18歳で戦死した
宮城県出身の相花(あいはな)信夫少尉の遺書です。

いかがでしょうか。

悔しい思いが伝わる遺書ではないでしょうか。


また、覚悟を決めた彼らが愛する家族やこの国の他に守ろうとした
もう一つのモノがありました。

戦争末期、九州と沖縄の中間に位置する喜界島には
鹿児島知覧から出撃する特攻機の中継地点がありました。

自らの命を犠牲にして沖縄戦に向かう若い特攻隊員が
最期に飛び立った場所が喜界島だったのです。


夜明け前に特攻出撃する10代の若い隊員たちに
島の娘たちは一輪の野の花を贈っていました。

隊員たちはその花を受け取ると
「この花まで一緒に散らしてしまうのは忍びない・・ 」 と

喜界島の滑走路に、そっと操縦席からその花を落とし
再び沖縄に向け飛び立って行きました。

彼らは、この国の未来と平和を願いながら・・
そして、たった一輪の花の儚い命も守ろうとしたのです。


なんと、心優しい青年たちだったのでしょうか。

その彼らは、自分の夢を諦め、祖国日本のために
死の恐怖と闘いながら逝ったのです。


あれから76年、彼らが落とした天人菊(テンニンギク)の
小さな命の種は風に舞い、

今も毎年、飛行場跡周辺に花を咲かせています。

喜界島の人たちは、その命の花を「特攻花」と呼び
平和を願う花として大切にしているそうです。


そんな「特攻花」には、次の様な花言葉があります。

それが「協力」「団結」「きらびやか」。

そして、もうひとつ・・「生きなさい」です。


「今日、我々は知っている。

愛の反対は憎しみではない。無関心である。

平和の反対は、平和と戦争に対する無関心である。

無関心が悪なのである。

無関心は精神の牢獄であり、我々の魂の辱(はずかし)めなのだ」


これは、米国のユダヤ人作家でノーベル平和賞受賞者
エリ・ヴィーゼルの言葉です。


私たちは、彼らの犠牲を無駄にしないためにも・・

そして、彼らへの感謝と恩返しのためにも・・

「平和と戦争に対して、無関心」であってはならないのです。

ですから私は、毎朝の祈りの中に「紛争のない平和な世界を
実現する為に行動します」という誓いの言葉も口にするのです。


「言葉はちから」です。

その口にした言葉で「生きること」「幸せになること」
そして「平和に対する意識」を持ち続けるのです。

また、彼らへの感謝と恩返しの気持ちを持ち続ける様にしているのです。

それが、自分が幸せになる道だと信じているからです。

そして、私たちが彼らから学ぶのは・・、

彼らへだけでなく、すべてのことへ
無関心になることに無関心にならない様にすると言うことです。


大丈夫!大丈夫!

あらゆる点で一層良くなる!

必ず良くなる!

良かった!良かった!

ツイてる!ツイてる!

ありがとう!


今日も、素晴らしい仲間たちと

共に生き!!

共に歩み!!

共に成長しましょう!!


今日も最後までお付合いを頂き、ありがとうございました。


感謝 合掌


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