今日も絶好調!!絶好調!!
今朝も最高に幸せな朝を迎えました。
朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」
「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、
ありがとうございます」
そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。
私は私ぐらい『幸せな人』はいないと思っています。
「私は世界一の幸せ者です」
そして『言葉は力です』
言葉遣いは「明日の自分」を作ります。
今日も元気になる言葉を発して、
明るく楽しく過ごしましょう。
今日は『母の日』ですね。
皆さんもご存知の様に『母の日』は「今から100年ほど前
アメリカ・ウェストヴァージニア州のアンナ・ジャービスが
亡き母を偲び1907年5月12日に教会で
白いカーネーションを捧げた」のが由来とされています。
それに感動した470人が翌年の5月10日に同教会で
赤いカーネーションを母に贈り、それが世界に広がりました。
母を想う気持ちは、古今東西を問わず同じ様です。
母への一番の贈り物は、カーネーションや高価な贈り物よりも
母を想う気持ちと感謝ではないでしょうか。
私の母は98歳になりますがお陰様で健在です。
今年は会いに行くことができませんから、故郷に向かって
「私は、あなたの子として生まれて幸せです」
「ありがとうございます」と手を合わせました。
1日も早いコロナウイルスの終息と、母が1日も長く生きて
私の心の支えで居ることをことを願います。
『私たちは、この世に何かを成すために生まれてきた』
今日は、私の故郷・福島生まれの偉人と母の愛を贈ります。
偉人の名は、野口英世。母の名は、野口シカ。
『伝えたいふるさと100話』に次の様に紹介されています。
野口シカは、自分のせいでわが子、清作(野口英世)に
大火傷させて不自由な体にしたことを悔やみ、
農業以外の仕事もできるよう清作を学校に出すために
学費を稼いでいたのでした。
大きな荷物を背負い猪苗代と若松の間の
五里(約二〇キロメートル)の坂道を往復して
生活費と清作の学費を稼ぎました。
清作は、母のその姿を見て、一生懸命勉強しました。
シカが清作の猛勉強ぶりを見て心配すると、
「おっかさんは男勝りの仕事をしているのに、
おれがこのくらいのことすんのは当たり前だべ」
と母をねぎらうのでした。
清作が三ツ和小学校に通っていた十一歳のとき、
校長先生から先生の代わりに教壇に立って教えてみないか
といわれたことを聞いたシカは、
清作に新しい洋服を買い与えました。
洋服など村の誰も着ていない時代に、シカは頑張った清作に
精いっぱいのことをしてやったのです。
明治二十九年、清作が上京して医師資格の受験勉強をしていた時も
シカは、清作が頑張っているから自分も負けられないと
近くの助産婦さんを手伝って助産婦の資格を取ったのでした。
やがて清作は、医師の試験に合格すると英世と名前を変えて
前にも増して勉強に励みました。
その後、渡米し、医学の研究成果を上げて
ノーベル賞の候補になりました。
明治四十五年二月、忙しい日々を送る英世のもとに、
シカから手紙が届きました。
文面にはなつかしい字で、
「早く帰ってきてくだされ。一生の頼みでありまする」
と書かれていました。
英世は、母に会いたくて手紙を読んで涙を流しましたが
研究が忙しくて帰国をすることができませんでした。
三年後の大正四年、五月、友人から英世のもとに
一通の手紙が届きました。
それは、シカの体が弱っていることや今、会わないと
二度と会えないことなど、
万難を排して帰国をすすめる手紙でした。
同封してあったシカの年老いた写真を見て、
今、母に会わなければ一生の悔いを残すと思った英世は、
一五年ぶりの帰国を決意しました。
郷里に戻った英世は、せめてもの親孝行のつもりで
東京や伊勢、関西を一緒に旅行したのでした。
立派になった英世を見てシカは、
「立派なお前の姿を見れたし、龍宮城に行った
浦島太郎のようで大変幸せだよ。心残すことはねえー」
と、感謝したのでした。
それから三年六ヵ月後の大正七年、英世が黄熱病の研究で
大きな成果を上げて南米のエクアドルから
アメリカのニューヨークにあるペンシルベニア駅に到着した時
英世はシカの死を知らされました。
シカは当時流行したスペイン風邪に倒れたのです。
自分が病気だと知りつつ助産婦の仕事を続けたシカは、
無理がたたって急に亡くなったのでした。
悲しみのあまりホームにひざまづいた英世は
シカから「世のため、人のためにつくしなさい」
といわれた言葉をじっとかみしめていました。
その後、人の命を守るために一生懸命に働くことを
心に誓った英世は、周囲の反対にもかかわらず
黄熱病の研究でアフリカに渡って研究に没頭します。
しかし、研究中に黄熱病に感染して、
世界の人々に惜しまれながら
昭和三年、五十一歳でこの世を去ったのでした。
ニューヨークにある英世の墓石には、
「日本の猪苗代に生まれ、アフリカのゴールドコーストで死亡。
科学に献身して、人類のために生き、人類のために死す」
と刻まれています。
(『伝えたいふるさと100話』より)
いかがでしょうか。
野口英世と母シカの愛。
「私は少しも恐れるところがない。
私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきたのだ」
これは、野口英世の言葉です。
母への一番の恩返しは「幸せになる」ことと
「この世のために、何かを成すこと」ではないでしょうか。
ですから「自分は人生に於いて何をすれば・・?」と迷ったら
「私は、この世に何かを成すために生まれてきた」
と口にしましょう。
「言葉はちから」です。
その口にした言葉で、人生の使命が見つかるのです。
その使命が生きる目的になり、夢中で取組むことが出来るのです。
その夢中で取組む人生が「幸せな人生」となるのです。
そして、それが母への一番の恩返し、贈り物となるのです。
だから、今日も
「言葉のちから」を信じて
明るく、元気に
「私は、この世に何かを成すため・・」の言葉を口に
ウキウキ、ワクワク、自分の人生の使命を見つけましょう。
その使命が明確になると充実の人生を歩むことができ
幸せな人生となるでしょう。
それが、母への一番の恩返し、贈り物となるでしょう。
大丈夫!大丈夫!
あらゆる点で一層良くなる!
必ず良くなる!
良かった!良かった!
ツイてる!ツイてる!
ありがとう!
今日も、素晴らしい仲間たちと
共に生き!!
共に歩み!!
共に成長しましょう!!
今日も最後までお付合いを頂き、ありがとうございました。
感謝 合掌
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