今日も絶好調!!絶好調!!
今朝も最高に幸せな朝を迎えました。
朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」
「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、
ありがとうございます」
そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。
私は私ぐらい『幸せな人』はいないと思っています。
「私は世界一の幸せ者です」
そして『言葉は力です』
言葉遣いは「明日の自分」を作ります。
今日も元気になる言葉を発して、
明るく楽しく過ごしましょう。
お盆休暇も終わり今日からお仕事という方も多いかと思います。
今年の4月から6月までのGDP(国内総生産)は、年率換算で
マイナス27.8%と戦後最悪との発表がありました。
先人たちの苦難に比べたら、私たちは未だ頑張れると思います。
先人たちは、どんな苦難の中にあっても「希望」を持って
「最悪」を「チャンス」に切り換え乗り越えて来たのです。
ですから、私たちも理想を掲げ「失意」ではなく
「希望」を持つことです。
今年後半も、理想を掲げ「失望」を「希望」に換えて
全力で仕事を楽しみたいと思います。
『理想に向かって、真剣に歩む姿が生きた証となる』
今日も昨日の八杉康夫さんの話の続きです。
長いですが私たち日本人が考えなければならないことを
教えてくれいてますので最後までお読み頂けると幸いです。
昨日は、戦艦大和の沈没時に川崎高射長は、若い命
八杉さんを救い、大和と共に沈んでいった話でしたが
今日は、その後の話です。
昭和60年のことです。
いつもピアノの発表会などで、お会いしていた女性から
喫茶店に呼び出されました。
彼女は辺見さんが書かれた『男たちの大和』を取り出し
こう言ったのです。
「八杉さん。実は・・、川崎勝己は私の父です」
「驚いた」なんていうものじゃありません。
戦後、何とかしてお墓参りをしたいと思い、厚生省など
方々(ほうぼう)に問い合わせても、何の手がかりもなかったのに
前から知っていたこの人が、高射長のお嬢さんだったなんて
念願叶って佐賀にある高射長の墓前に手を合わせることができました。
墓石には「享年31歳」とあり驚きました 。
もっと、ずっと年上の人だと思い込んでいたからです。
その時、私は50歳を超えていましたが、自分が31歳だった
時を思い返すと、ただただ恥ずかしい思いがしました。
そして、不思議なことに、それまでの晴天が急に曇天と
なったかと思うと、突然の雷雨となり
まるで「17歳のあの日」が巡ってきたかのようでした。
天皇も国家も関係ない、自分の愛する福山を・・、家族を・・
そして「日本を守ろう」と憧れの戦艦大和へ乗った感動。
「不沈戦艦」といわれた、大和の沈没。
原爆投下によって被爆者になり、そして、敗戦。
そのすべてが17歳の時に一気に起こったのです。
17歳といえば、今の高校2年生にあたります。
最近は学校関係へ、講演に行く機会もありますが
現在の学生の姿を見ると、明らかに
「戦後の教育が間違った」と思わざるを得ません。
いや、生徒たちだけではない。
間違った教育を受けた人が、先生となり・・、
親となって・・地域社会を動かしているのです。
その元凶は、昭和史を学ばないことに
あるような気がしてなりません。
自分の両親、祖父母、曾祖父母が、
どれほどの「激動の時代」を生きてきたかを知らず
いくら「石器時代」を学んだところで
「真の日本人にはなれるはずがない」
現に「日本に誇りを持っていますか」と聞くと
学校の先生ですら「持ってどうするんですか?」と
真顔で聞き返すのですから・・
よく「日本は平和ボケ」などと言われますが、毎日のように
親と子が殺し合う、この日本の「どこが平和ですか?」
確かに昔も殺しはありました、しかし「殺してみたかった」等と
「意味もなく人を殺すこと」は考えられませんでした。
真の平和とは、歴史から学び、つくり上げていくほかありません。
鶴を折ったり、徒党を組んでデモをすれば
「天から降ってくる」と言うものではないのです。
しかし、一流の国立大学の大学院生ですら
「昭和史は、教えてもらっていないので分かりません」
と平気で言います。
ならば「自分で学べ」と私は言いたい。
自分で学び、考えることなしに
「自分の生きる意味が分かるはずがない」のです。
人として生きたなら、その証を残さなければなりません。
大きくなくてもいいのです。
小さくても、精一杯生きた証を残してほしい。
戦友たちは、若くして戦艦大和と運命をともにしましたが
今なお、未来へ生きる我々に大きな示唆を与え続けています。
復員後、長く私の中に渦巻いていた
「生き残ってしまった」という罪悪感。
それは、今は「使命感」へと変わりました。
私の一生は、私だけの人生ではなく「生きたくても
生きられなかった、戦友たちの人生」でもあるのです。
うかうかと老年を過ごし、死んでいくわけにはいきません。
未来の日本を託す若者たちが、歴史を学び、
真の日本人になってくれるよう。
私は大和の真実を語り続け、いつか再び戦友たちに会った時
「俺も生かされた人生で、これだけ頑張った」と
「胸を張りたい」と思います。
(戦艦大和語り部、八杉康夫さんの言葉より)
八杉康夫さんの話、いかがでしょうか。
私たちに多くのことを考えさせられる話ではないでしょうか。
私たちも、彼らに敬意を払い、与えられた人生を
真剣に生きなければならないのではないでしょうか。
私は、この話に触れた時に決意を新たにしました。
この与えられた人生を「真剣に生き、意義のあるものにする」と。
ですから、理想を掲げ、その理想に向かって
「これは、私が生きた証を残すためのもの」と
自分に語り掛け続けます。
「言葉はちから」です。
その自分に語り掛ける言葉で、苦難の中にあっても
自分の理想に向かって歩み続けることが出来るのです。
その歩む姿こそが、この世に生きた証となるのです。
生きた証とは、何かを残すことではなく
理想の世界に向かって、真剣に歩む姿そのものなのです。
だから、今日も「言葉のちから」を信じて
「これは、私が生きた証を残すためのもの」の言葉を口に
自分の理想とする世界に向かって歩み続けましょう。
その真剣に歩む姿が「生きた証」となって
後世の人たちに語り継がれていくことでしょう。
大丈夫!大丈夫!
あらゆる点で一層良くなる!
必ず良くなる!
良かった!良かった!
ツイてる!ツイてる!
ありがとう!
今日も、素晴らしい仲間たちと
共に生き!!
共に歩み!!
共に成長しましょう!!
今日も最後までお付合いを頂き、ありがとうございました。
感謝 合掌
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