助け合う人になる

今日も絶好調!!絶好調!!

今朝も最高に幸せな朝を迎えました。

朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」

「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、ありがとうございます」

そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。


私は私ぐらい『幸せな人』はいないと思っています。

「私は世界一の幸せ者です」

そして『言葉は力です』

言葉遣いは「明日の自分」を作ります。

今日も元気になる言葉を発して、明るく楽しく過ごしましょう。


昨日、日本が無償提供した124万回分の新型コロナワクチンが
台湾に到着し、蔡総統から感謝のメッセージが届きました。

私がLINEで繋がっている台湾の方からも、到着後、直ぐに

「先ほど、桃園国際空港に日本からのコロナワクチンを載せた
特別専用機が到着しました。

これはワクチンの購入に困っていた台湾にとっては
命を救えるロープであり、神様からのプレゼントです。


特に、日本国内での感染拡大が依然として深刻な日本の国民も
政府も「逆境にあっても共に」の精神を貫いており、

この寄付行動を支援するという行為は本当に感動的です。

JAPAN,THANKS!!。日本、ありがとう!!謝謝!!」
というメッセージが届きました。


困っている時は「互いに助け合う」と言う精神は、イデオロギーや
人種の区別なく、いつまでも待ち続けたいものです。


また今日は、二十四節気の一つ『芒種(ぼうしゅ)』です。

『芒種』とは「稲などの芒(のげ)ある作物を育成する頃」と言う意味ですが

私の田舎では、この頃になると稲の苗が育ち始め、小学校から帰ると直ぐに
田んぼに出て祖父を助ける為に腰を屈めて一緒に雑草を駆除したのが懐かしいです。



『人間は、互いに支え合うという仕組みの中で生きている』



今日は「助け合う」について考えたいと思います。


司馬遼太郎氏の『二十一世紀を生きる君たちへ』というメッセージの中に
「助け合う」ことの大切さが書いてありましたのでご紹介します。


『二十一世紀を生きる君たちへ』


さて、君たち自身のことである。

君たちは、いつの時代でもそうであったように
自己を確立せねばならない。

自分にきびしく、相手にはやさしく。という自己を・・

そして、すなおで、かしこい自己を・・


二十一世紀においては、特にそのことが重要である。

二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。

科学・技術が、洪水のように人間をのみこんでしまってはならない。

川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が
科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。


私は「自己」ということをしきりに言った。

自己といっても、自己中心におちいってはならない。

人間は助け合って生きているのである。

私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。

ななめの画がたがいに支え合って、構成されているのである。

そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。

社会とは、支え合う仕組みということである。


原始時代の社会は小さかった。

家族を中心とした社会だった。

それがしだいに大きな社会になり、
今は、国家や世界という社会をつくり

たがいが助け合いながら生きているのである。

自然物としての人間は、決して孤立して
生きられるようにはつくられていない。

このため「助け合う」ということが、
人間にとって、大きな道徳になっている。


助け合うという気持ちや行動のもとのもとは
いたわりという感情である。

他人の痛みを感じることと言ってもいい。

やさしさと言いかえてもいい。

「いたわり」「他人の痛みを感じること」

「やさしさ」、みな似たような言葉である。


この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。

根といっても、本能ではない。

だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。

その訓練とは、簡単なことである。


例えば、友達がころぶ。

「ああ痛かったろうなぁ」と感じる気持ちを、
その都度、自分の中でつくりあげていきさえすればよい。

この根っこの感情が、自分の中でしっかり根づいていけば

他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。


君たちさえ、そういう自己をつくっていけば
二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるにちがいない。


(司馬遼太郎氏の言葉より)


いかがでしょうか?

司馬さんが予想したように21世紀は凄い勢いで
科学や技術が発達し、激変しようとしています。

そして、新型コロナによって過去の常識や概念が一変しました。

この様に科学が発展し、変化の激しい時代だからこそ
私たちは流れに惑わされない「自己」を確立する必要があるのです。


その自己とは「頼もしさ」だと司馬さんは言っています。

「頼もしさ」とは人への「思いやり」であり「優しさ」です。

人のお役に立ちたいという、人間の持つ「たすけ愛の心」です。


ですから、どんな時も、目の前の人に対して

「どんなお手伝いが出来るだろう」

そして「私に何が出来るのだろう」と自分自身へ問い掛けましょう。


「言葉はちから」です。

その自分自身に問い掛ける言葉で「思いやり」や
「優しさ」と言った「たすけ愛の心」が育まれるのです。

その人を想う「たすけ愛の心」が「頼もしい人」を創り出すのです。

すると、どんな激変が起こっても、互いに助け合って
みんなが仲良しの世界を築くことが出来るのです。


「頼もしい人」とは、人が困った時に助け合う
「優しい心を持った人」なのです。


ですから、激動の時代を生きる「頼もしい人」になりたいと思ったら

「言葉のちから」を信じて

人に会ったら、先ずは「どんなお手伝いが出来るだろう」

「私に何が出来るのだろう」と自分自身へ問い掛けましょう。

すると「思いやり・優しさ」と言った心が育まれ
互いに助け合う「頼もしい人の輪」が出来ることでしょう。

そして、互いに助け合い、激動の時代を生きる
「頼もしい人」になることでしょう。


大丈夫!大丈夫!

あらゆる点で一層良くなる!

必ず良くなる!

良かった!良かった!

ツイてる!ツイてる!

ありがとう!


今日も、素晴らしい仲間たちと

共に生き!!

共に歩み!!

共に成長しましょう!!


今日も最後までお付合いを頂き、ありがとうございました。


感謝 合掌


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