幸せな死に方

今日も絶好調!!絶好調!!

今朝も最高に幸せな朝を迎えました。

朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」

「今日も素晴らしい一日を用意してくださり、

ありがとうございます」

そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。

私は私ぐらい『幸せな人』はいないと思っています。

「私は世界一の幸せ者です」

そして『言葉は力です』

言葉遣いは「明日の自分」を作ります。

今日も元気になる言葉を発して、明るく楽しく過ごしましょう。


今夜は『中秋の名月』ですね。

今日は全国的に雲の多い一日となりそうですが
少しでも月を観ることが出来たら嬉しいですよね。

月見団子と里芋などの秋野菜のお供え物。

それにススキとコスモスを添えて縁側に飾り
月を眺めた田舎の空が懐かしいです。

「月に旅行に行く」と言うのは、とても夢のある話ですが

「うさぎが餅つきしている月」というロマンがなくなるのは
ちょっぴり寂しい思いもします。

ところで『中秋の名月』と『満月』が、必ずしも一致しない
と言うことをご存知だったでしょうか。

今年は24日が『中秋の名月』で『満月』は明日、25日です。


また今日は、今から141年前(1877年)に『せごどん』こと
西郷隆盛が鹿児島市城山で49歳の生涯に幕を下ろした日です。

明治維新の立役者として歴史に名を刻みながらも、賊軍として
最後を迎えた西郷隆盛は

幕末の志士から先の大戦までの戦歿者246万余柱を祀る
「靖国神社」には祀られていません。

激動の歴史に翻弄された西郷隆盛。

どんな想いで生涯を終えたのでしょうか。

そこで今日は、その西郷隆盛に

「その才器、識見、到底、自分が及ぶものではない」と

言わしめた「橋本左内」さんの話をご紹介します。



『酔ったように生き、夢の中だけで死ぬ者にはならぬ』



幕末の志士で思想家、越前国福井藩藩士の

「橋本左内(さない)」

彼の人物像を彼が15歳の時に書いた

『啓発録』から知りたいと思います。


「志」とは、心が向かうところであり、

私たちの心が「そうしたい」と願うところを指す言葉だ。

武士として生まれた以上、

忠孝の精神を持っていない人間はいないだろう。

忠孝の精神があれば、武士にとって主君は大事な存在であり

また家名を授けてくれた両親も大切な存在だと理解しているはずだ。

そのことに合点がいったなら、当然のように己の将来を重く考え

こんなふうに思い立つべきだろう。


「我こそは、武芸の腕を鍛え抜き、学問を究め、過去の聖賢君子や

英雄豪傑のようになって我が君主のために働き、

天下国家の役に立って武家の名をも高めよう。

酔ったように生き、夢の中だけで死ぬ者にはならないぞ!」

武士の志とは、これほどまでに強くあらねばならないと思う。

志を立てるときは、ふと思い立った気持ちであっても

その思いがどこに向かっているのか

しっかりと定めなければならない。

そして先の言葉のように、考えて考えて己の指針をハッキリと表明し

常々その情熱を失わないよう、努力していかなければならない。


では、そんな志を、私たちはどのように立てたらいいのか?

まず書物に影響を受け、そこから閃くということがある。

それから師の講義や友の意見を聞き、自分も啓発されることがある。

あるいは、自ら思い煩い、苦慮して結論に至ることもあるだろう。

さらには激しい憤りを感じたり、感情を突き動かされて、

その結果、志を持つことだってあるはずだ。

いずれにしろ、平常をのほほんと過ごし、

心がたるんでいる状態では、志など立てられるものではない。


( 橋本左内著『啓発録』を現代語に翻訳した文より )


更に、橋本左内は次のように言っています。


「いにしえの時代に“豪傑の士”と呼ばれた者でも、

目が4つ、口が2つの化け物だったわけではない。

彼らは皆、大きな志を持っていたから、

たくましく成長していくことができた。

大きな志を持っていたから、

天下に大きな名を揚げることができた。

世の中の多くの人は、大した成果もなく、

その一生を終わってしまう。

それはすべて、太くたくましい志を持っていないからなのだ」


凄いですよね。

15歳で「志」を記し、26歳で「安政の大獄」の犠牲者となった

福井藩の天才「橋本左内」

西郷隆盛が死の直前まで大切に持っていたのが

この橋本左内からの手紙だったそうです。


私には、幕末の志士のような、天下国家を論ずるような

『大きな志』は持ってはいませんが、せっかく頂いた命です。

「酔ったような生き方だけはしない」と決めています。

何故なら『志』を持っていると、人生は楽しいからです。

また『志』を持つことで、人は成長できるからです。

進化できるからです。

また、私たちは、必ず「死ぬ」からです。

「死」までの人生を心から楽しみたいからです。

そして「幸せな人生だった!」と言って死を迎えたいからです。


では、その「志」はどうしたら持てるのでしょうか。

それは「知る」ことから始まるのではないでしょうか。

私たちは「知る」ことで「自分を知る」ことが出来ます。

「どんな未来にしたいか?」が判ります。

「理想を思い浮かべる」ことが出来ます。

そして、それを口にすることで「志」は生れるのです。

ですから「酔ったような生き方だけはしない!!」と

自分に宣言しましょう。


「言葉はちから」です。

その口にした言葉が、一日一日を・・

一瞬一瞬を・・本気で生きる心構えをつくるのです。

すると、いろんなことが学びとなり

自分の理想の未来を描くことが出来るのです。

そして、それを言葉にしていると『志』になるのです。

その「志」が、人生を豊かにし、楽しいものにしてくれるのです。

「幸せな死に方」をさせてくれるのです。


だから、今日も、

「言葉のちから」を信じて

明るく、元気に

「酔ったような生き方だけはしない!!」の言葉を口に

ウキウキ、ワクワク、一瞬一瞬を本気で生きましょう。

そして、いろんなことを知り、

自分の理想の未来を心に描き「志」を持ちましょう。

すると、豊かで楽しい人生が待っているでしょう。

そして「幸せな死に方」が出来るでしょう。


大丈夫!大丈夫!

あらゆる点で一層良くなる!

必ず良くなる!

良かった!良かった!

ツイてる!ツイてる!

ありがとう!

今日も、素晴らしい仲間たちと

共に生き!!

共に歩み!!

共に成長しましょう!!


今日も最後までお付合いを頂き、ありがとうございました。


感謝 合掌

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