過ちを許す

今日も絶好調!!絶好調!!

今朝も最高に幸せな朝を迎えました。

朝、目覚めの第一声は、いつも「神様!感謝します」

「今日も素晴らしい一日を用意してくださり
ありがとうございます」

そして、親愛なる皆様へ心から感謝しています。


私は私ぐらい『幸せな人』はいないと思っています。
「私は世界一の幸せ者です」

そして『言葉は力です』

言葉遣いは「明日の自分」を作ります。

今日も元気になる言葉を発して、
明るく楽しく過ごしましょう。


いよいよ、日本も昨夜、7都府県に対し『緊急事態宣言』が発令され
本日0時から施行されました。

不要不急の外出は自粛して頂き、どうしても外出が必要という方は

下記の「コロナウイルスの感染場所が判る地図アプリ」などを
参考にされてはいかがでしょうか。

【新型コロナ感染場所マップ】 https://coromap.info/


また昨夜は、今年最大の満月『スーパームーン』でしたが
ご覧になりましたでしょうか。

正確には、本日8日、午前3時9分頃に月が地球に最接近し

今日の午前11時35分頃にちょうど満月を迎えますので
昨夜と今夜が目で観れる「スーパームーン」です。

昨夜、観れなかった方は、今夜自宅の窓からでも
空を見上げてみてはいかがでしょうか。



『人を許すことで、心豊かになり恩恵がもたらされる』



今日は、お釈迦さまの誕生をお祝いする『花まつり』ですね。

日本での『花まつり』は、推古天皇の時代に始まったと言われますが

『灌仏会(かんぶつえ)』『仏生会(ぶっしょうえ)』などと呼ばれる
お釈迦様の法要です。

日本では、不思議なことに、仏教国ですが「クリスマス」より
「花まつり」の方が知名度が低いようです。

仏教信者の方は、お釈迦さまに対して今日「おめでとうございます」
「ありがとうございます」と手を合わせてみてはいかがでしょうか。


今日は「許す」と言う、お釈迦様の教えから学びたいと思います。


25年にわたり成功と幸福の原理を追求したマーク・レクラウの著書
『習慣を変えれば人生が変わる』に次の様な一節があります。


成功と幸福を手に入れるうえで、
自分を不当に扱った人を許すことが重要である。

なぜ自分を不当に扱った人を許す必要があるのか?

その答えは、それが自分に恩恵をもたらすからだ。

あなたはそれを相手のためではなく自分のためにすべきなのである。


それが正しいか間違っているかという問題ではない。

自分を不当に扱った人を許すことは、心の平和につながる。

一方、怒りと恨みは莫大なエネルギーの浪費につながる。

憎しみを心の中で何度も再現することは何の利益にもならない。


そのために安眠できないのは誰か?

怒りに満ちているために、現在を楽しんでいないのは誰か?

あなたか相手か?

自分のために怒り、恨み、憎しみを捨てよう。


記者がダライ・ラマ14世に「中国によるチベット占領に
怒りを感じるか?」と尋ねたところ

「とんでもない。私は愛をこめて中国を許している。
中国に怒りを抱いても何の得にもならない。

そんなことをしたところで中国政府は態度を変えないし
私は潰瘍を患いかねないから、中国の利益になるだけだ」と答えた。


(『習慣を変えれば人生が変わる』より)


いかがでしょうか。

自分を不当に扱った人に対するダライ・ラマ14世の姿勢
私たちも見習うべきではないでしょうか。

そして、その教えは「お釈迦様」の教えでもあるのです。


お釈迦様が、永遠の眠りにつく時の話しをしましょう。


ブッダが80歳のとき、弟子のアーナンダを連れて
クシナガルという北インドの地を旅していました。

クシナーラを通るとき、鍛冶屋のチュンダは貧しいながらも
熱心な仏教徒で、ブッダが来るということを知ると

とても喜び、是非とも食事をもてなしたいとブッダに願い出ます。

ブッダは喜んでもてなしを受けるんですが
食べた後、激しい腹痛に襲われます。

食中毒をおこしたのです。


それでも、ブッダと弟子は旅を続けるために出発しました。

その苦しみの中で、ブッダは弟子のアーナンダに言いました。

「私が死んだあとに、チュンダのことを
悪く言う人がでてくるでしょう。

はっきりさせておきますが、それは違います。


チュンダの料理を食べたからこそ
私はついに涅槃に至ることができるのです。

スジャータの乳粥(ちちがゆ)と、チュンダの料理は
私にとって最上の食事でした。

※ お釈迦様は、以前にスジャータという名の少女から施された
乳粥を食べて救われています。

私のことでチュンダを恨む人間がいたら、
このことをよく説いてやってください」


さらに、鍛冶屋のチュンダにはこう言います。

「あなたは私に大変よいことをしてくれました。

あなたは最期の食事を与えるために選ばれた人間です。

なかなか選ばれるものではありません。

大変な高徳です。だから、悲しまないでください。

生ずるものは必ず滅するのです」


お釈迦様が最期に教えたかった事。

それは「許す」ということでした。

自分の死の原因となった事であっても
相手を許して優しい言葉をかける。

この姿勢が、多くの人を導く聖人へとさせたのです。


マザー・テレサも「もし本当に愛したいと願うなら

許すことを知らなければなりません」と言っています。

お釈迦様とキリスト様、教えは違いども
「許す」ことの大切さを説いています。

では、どうすれば良いのでしょうか?

それは「許せない」ことがあったとしたら
「有り難い」「ありがとう」と口にするのです。


「言葉はちから」です。

その口にした感謝の言葉で「許す気持ち」が湧くのです。

そして、人を許すことで自分が心豊かになるのです。
また、多くの人に好かれる人となるのです。

すると「人」と「幸運」と「お金」を引き寄せるのです。

※「謝」には「感謝」と「許す」と言う意味があります。

私たちは「人の過ちを許す」ことでに「自分が豊か」になれるのです。


だから、今日も

「言葉のちから」を信じて

人の過ちに対して

明るく、元気に

「有り難い」「ありがとう」の感謝の言葉を口に

ウキウキ、ワクワク、許せない人を許しましょう。

すると、自分が心豊かになり
多くの人に好かれる人になるでしょう。

そして、物心ともに豊かな人生を送らせて頂けるでしょう。


大丈夫!大丈夫!

あらゆる点で一層良くなる!

必ず良くなる!

良かった!良かった!

ツイてる!ツイてる!

ありがとう!


今日も、素晴らしい仲間たちと

共に生き!!

共に歩み!!

共に成長しましょう!!


今日も最後までお付合いを頂き、ありがとうございました。


感謝 合掌


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